2006年08月19日

しなくてもよかった失敗について

昨日のトラブル解決の書き込みだけを読めばデスクトップが消えてしまうというnautilusの事故もそれなりにすんなり解決したように見えるかもしれないが、実際にはやらずもがなの余分な操作をしてしまったために、一時は起動不能に近い状態にまでなってしまった。その回復については、トラブルの本質ではなかったので昨日は書かなかったが、備忘のために恥を忍んで書いておくことにしよう。最初にnautilusのトラブルだと見当をつけたときに、実は早速、Web検索をかけてみた。すると、同じように「nautilusの突然の怪死」について書いてあるページがあった。それを見ると、ホームフォルダの入れ換えで解決している。後知恵でこれを見れば、なるほど、トラブルを起こした設定ファイルはHOMEフォルダ内にあるから、これを入れ換えれば無事に起動するわけだ。けれど、そのときはそこまではわからなかった。ただ、Homeフォルダを入れ換えればいいのだろうと、大雑把に考えた。そこでまず、システム管理の「ユーザーとグループ」から新規ユーザーを作って立ち上げてみた。これは肩慣らしのつもりだったが、これでnautilus自体が壊れているのではないことが確認できた。ここまではよかったのだ。この新規ユーザーは、環境がデフォルトなので、日本語入力もできなければ、フォントも汚らしいままである。それでもとりあえずこの環境からバックアップだけでもとってやれとメインユーザーのデスクトップにアクセスしたら、一部のファイルがロックされている。権限がないというわけだ。それでも最低限必要なファイルだけはバックアップできたので、次にメインユーザーに戻った。あいかわらずnautilusは死んでいるが、それでもそれ以外には通常の操作はできるので、再び「ユーザーとグループ」から入って、メインユーザーのデスクトップの指定をデフォルトから別のフォルダに変えてやった。ついでに、別ユーザーからバックアップでファイルがとれるように、それまでのメインユーザーのHomeフォルダのアクセス権をすこし緩めておいた(これが余分なことの上にさらに余分なことで、後で話をややこしくした)。さて、ログアウトして再ログインしようとすると、Homeフォルダを見つけられないせいでログインできない。具体的には、「Home/.dmrc」というファイルが読み込めないというエラーメッセージが出る。さてさて困った。しかたないからもとに戻そうと思って、別ユーザーでログインしたら(このあたりまでは落ち着いていた)、別ユーザーは権限が低いため、「ユーザーとグループ」を操作できない。これは素人のはまる落し穴だった。いつでももとに戻せると思ったからいい加減なことを強行したのに、これでは後戻りできないではないか。しかも、メインユーザーの特定のファイルやフォルダにはあいかわらずアクセスできない(これは当然といえば当然で、Macintoshのように「フォルダ内の項目にも適用する」というオプションがないのだから、上位のフォルダのアクセス権だけ変えても意味はなかったのだ)。だから、「最後の手段」と思っていたファイルをバックアップして再インストールという方法はとれないことがわかった。このあたりで少し焦り始めた。幸い別ユーザーでログインしていたから、Web検索はできる。ただ、日本語入力環境ができていないため、けっこう面倒臭い。それでもTerminalのコマンド入力でファイル名を変更する方法を見つけることができた。元のHomeフォルダの名称を変更して、ログイン時に見つけられるようにしてやろうという作戦である。まず、「ユーザーの切替え」でログイン画面に戻り、「セッションの選択」で「フェールセーフのterminal」を選んでメインユーザーでログインする。するとterminalの画面になるから、ここでコマンドラインの入力で、Homeフォルダの名前を、先に「ユーザーとグループ」で変更しておいたものにあわせる。これでログインできるだろうと思ったのは甘く、やっぱりログインできない。しかし、ここまできたら、先ほどには不可能だった「セッションの選択」で「フェールセーフのGnome」というオプションからログインすることはできた。ここまでくればあとは失敗を帳消しにする作業である。まず、Homeフォルダの指定を元通りにし、それからHomeフォルダのアクセス権も元に戻す(これもエラーメッセージが出ていたのだ)。それから、「Home/.dmrc」というファイルも隠しファイルの表示で見つけて、アクセス権を指定された通りに変えてやった。さらにいったんログアウトし、再びTerminalからHomeフォルダの名称を元通りに戻す。さてこれで、nautilusがこけた時点(すなわちログインはできるがデスクトップが表示されない状態)まで復帰できたと思ったら、やっぱりログインできない。これはかなりがっかりきた。しかし、ここにきてようやく、metacityの設定ファイルを捨てるという知恵を思いついたのだから、まあ無意味でもなかったのかもしれない。これは、先に隠しファイルの表示をやったときに、設定ファイルも見つけていたから思いついたことだ。それに、設定ファイルに関するエラーメッセージは、ここにきてようやく出てきた。いろいろいじったからヒントが得られたのだと思えば、この悪あがきも百%の無駄ではなかったかもしれない。ともかく、フェールセーフのGnomeからログインして設定ファイルを捨てたら、ようやくメインユーザーでログインできて、しかもnautilusが復活した。細かく書けば、昨日の顛末はこういうことだったのである。しかし、こう書いても、読んでいる人には私が何をやっていたのかさっぱりわからないだろう。自分でもそうである。パソコンのトラブルなんてそんなもの。どんどんわけわからないところに踏み込んで悩み、最後に思いもかけず薮から外に出る。神経に悪い2時間だった。
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2006年08月18日

初の大トラブル:nautilus

Ubuntuにして以来、トラブルらしいトラブルはほとんどなかった。使いかたがわからないために苦労したこと、設定やインストールで「こうなってほしい」と思ったことがなかなかできなかったことなど、トラブルといえばトラブルだが、それはまあ、素人の実力のうちである。パソコンを使っていて経験する多くのトラブル、すなわち、システムやアプリケーションの損傷は、この1ヶ月半でまったくといっていいほど経験しなかった。スリープからの復帰時にエラーメッセージが出たりアプリケーションがフリーズしたり、あるいはスリープ中のパソコンがそのまま停止してしまった(これは子どもが中途半端に蓋を開けたからではないかという疑いが強い)とか、マイナーなトラブルがわずかにあった程度であった。ところが今日の昼、これまでにない大きなトラブルが起こった。それまで順調に作業をしていたのが、ちょっとテーブルを空けなければならない用事があって、電源とLANケーブルを抜いて、場所を移動した。そのままラップトップで使っていたら、突然システムが落ちてしまった。原因はわからない。たぶん、この時点ではプログラムのトラブルというよりは、むしろ外的なことが原因だったのではないかと思う。暑い日だったからオーバーヒートしたか、あるいはバッテリの接触が何かのはずみで緩んで、電源が落ちたか、前々から少し怪しいモニタ部と本体との接触部分に力がかかったのか、そんな機械的な原因ではなかったかと思う。ともかくも、珍しく動作中に落ちてしまった。しかたないので再起動すると、エラーメッセージの山である。最終的に立ち上がったのだが、どうも不安なので、改めて再起動すると、またまたエラーメッセージの山。そして最終的に「nautilusが起動できませんでした」というエラーメッセージで、さてデスクトップを見ると、デスクトップのファイルがなにひとつ表示されず、メニューバーの表示も半分くらいが消えているという状態になってしまった。この時点で、作業中のファイルは、保存時点までは無事だった。アプリケーションの動作にも問題はない。だからそのまま作業を続けてもよかったのだが、やっぱりデスクトップが消えているのはやりにくい。メニューバーも、せっかく慣れてきたカスタマイズを一からやり直すのは気が重い。このnautilusというのは、デスクトップの表示を司るアプリケーションらしい。Ubuntuを立ち上げると、最初にシステムが起動し、次にデスクトップが立ち上がる。そのときに4つのソフトが表示されるが、最初のものがファイルマネージャーで、次がGnome、その次がnautilusであることは、これまで起動画面をぼうっと眺めてきて知っていた。これらのソフトが集まって、MacintoshでいうところのFinderが構成されているようだ。nautilusは主にデスクトップの表示を司るらしい。このプログラムが、どういうわけか起動しなくなってしまった。さて、困った。MacintoshならばDisk First Aidという診断ソフトがあるし、NortonやDisk Worriorといった診断・回復用のソフトもある。しかし、Ubuntuでそれにあたるものがあるのかどうかわからない。弱った。Macintoshだったらどうするか。診断ソフトでチェックしても治らない場合、システムの再インストールをするだろう。再インストールはおおげさでも、壊れた部分だけでもインストールしなおせばいい。だったらUbuntuでも同じことと、synapticを起動し、nautilusを探して再インストールした。けれど、状況は改善しない。そこで、新規ユーザーをつくって、別ユーザーでログインしてみた。すると、nautilusはちゃんと動いて、デスクトップも正常に表示される。つまり、これはnautilusそのもののエラーというよりは、何か設定ファイルが邪魔をしてエラーを起こしているらしい。さて、実際にはここから、私は非常に馬鹿なことをして危うくデータをすべておじゃんにしてしまうところだった。しなくてもいい危ない(素人にとっての)綱渡りをやって、どうにか危機を脱出した。その話は長くなるのでここでは端折る。ともかくも、潰さなくてもいい2時間近くを潰した挙げ句、正解にたどり着いた。それは、起動時に現れるファイルマネージャーであるmetacityの設定ファイルらしいものをすっかり捨ててしまうことだった。いろいろやっていたら起動時に「metacityの設定を読み込めませんでした」というエラーメッセージが出るのを頼りに、だったらそれを捨ててやれという手段に出たわけだ。ちなみにこのファイル、Homeフォルダの中に隠しファイルで「.metacity」というフォルダがあって、その中に「sessions」というフォルダがある。このフォルダ内に大量の設定ファイルらしいものがあったので、sessionsというフォルダごと削除した。その上で再ログインすると、めでたし、nautilusが作動してデスクトップが元通りに表示されたのだ。ただ、メニューバー(パネル)だけは復活せず、改めて設定をカスタマイズしてやる必要があった。どういうわけかいまだにscim-Anthyだけは表示が戻らないのだが、ともかくも、元通りの環境ができて胸をなでおろした。3時間という貴重な時間を無駄にしたけれど、なんとかなってホッとしている。今回のトラブルは、使用中にシステムにトラブルが発生したというよりは、使用中に不用意に電源が落ちたことの影響で設定ファイルが壊れたことが原因であるようだ。Linuxは電源を落とさない限り安定しているように思うが、正しい手順を踏まずに電源を切った場合にどんなトラブルが起こるかを今回経験したと思っていいのではないだろうか。なるほど、ログアウトには正しい手順を踏まねばならないわけだ。
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2006年08月17日

Epiphanyというブラウザ

Firefoxがリリースされるまで、Macintoshはブラウザが弱点だった。AppleがMicrosoftに出資を仰いだ際の条件だったとかいう話を聞いたことがあるが、Appleはある時点からNetScapeを見限ってIEのMacintosh版を標準装備するようになった。これはこれで決して悪いバージョンではなかったのだが(ブックマークとは別にサイトアドレスを仮に残しておく機能があって、これは便利に使えた)、おそらくMicrosoftの商売上の作戦からWin版に比べてやや機能が抑えられている感があった。Macintosh独自のブラウザとして登場したSafariはシンプルで使い易いものであったが、文字コード設定に難があるのかよく文字化けたし、けっこう見えないサイト、動かないCGIも多かった。だからMacintoshでウェブ検索をしているときには、「これはWinではどう見えているのかな」と想像力を働かす必要があった。それがFirefoxの登場以降はかなり楽になった。現在ではある部分ではIE以上に標準ブラウザの地位を占めつつあるのだから。それでもMacintoshでは、複数のブラウザを使って、ときどきほかのブラウザでどう見えるのかをチェックするようにしていた。サイトによってはCGIのボタンがFirefoxではダメなのにSafari、あるいは古いIEなら通るというような場合もあって、この2つは普段は使わなくても削除できなかった。そのほか、OperaやCameoも積んでいたし、これはメールデータの変換用としてNetScapeを入れたりもしていた。Ubuntuの場合、デフォルトでブラウザはFirefoxであり、それで十分機能するのでほかのブラウザの必要性は感じなかった。それでも、やっぱりときどきIEにしか対応していないと思われるサイトがあり、そんなときには別のブラウザを何種類か積んでおけたら便利だろうなと思っていた。そこで例によってsynapticで調べてみると、Epiphanyというブラウザが使用可能であることがわかった。早速インストールして使ってみると、なかなか使い勝手はいい。ただ、実際にはこのブラウザ、(素人ユーザーにとってという意味だが)Firefoxとなんら変わることはない。それもそのはず、同じGekkoエンジンを使っている。推測に過ぎないが、コードのかなりの部分もMozilaプロジェクトからもらっているのではないだろうか。だから、Firefoxで見えないサイト、使えない機能は、同様にEpipahnyでも見えない、使えない。これではあえて使う意味はないだろう。せっかくインストールしたけれど、遠からず削除の運命にある。
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2006年08月13日

Gnashはまだか…

PPC版のUbuntuでは、いまのところ新しいバージョンのFlashムービーを表示することができないという問題がある。Flashなんてだいたいは広告っぽいものにしか使われていないのだからいいさと痩せ我慢してもいいのだが、見えないとなるとそれはそれで妙に気になるのが人情である。何か代案があればといつも思ってきた。Ubuntuのフォーラムでもこれはたびたび話題に取り上げられているが、どうやらGnashというプロジェクトがソリューションになりそうな様子である。ただ、このGnash、いまだ開発中ということで、試してみることはできない。しかし先日、Ubuntuのフォーラムに、この開発中のソースをPPC用にコンパイルしてみたという投稿があった。
http://ubuntuforums.org/showthread.php?t=199370これによると、まだ完全ではないが、かなりは動くようである。そこで早速インストールしようと思って、投稿者のコンパイルしたものをダウンロードしてみた。しかし、おそらくインストールの手順がよくわからないせいだろう、インストーラーのエラーが出て試用することはできなかった。ひょっとしたら、G4対応なのかもしれないと思うが、追求するだけの時間も知識もない。
きっと、もうしばらく待てば、プロジェクトが進んで安定したプログラムが出回るようになるんだろう。それまでもう少しの辛抱だ。
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2006年08月12日

レイアウトソフトの代案?

Ubuntuになってからはじめて、先日ひさしぶりにレイアウトが絡んでくる仕事があった。そこでScribusを使おうとしてみたら、これは日本語組版への対応が不足だったので使えなかったことは先に書いた。
しかたないのでこの仕事、とりあえずはOpenOfficeでごまかした。MS WordやOpenOfficeはときには印刷関係でも使われることもあるが(ビジネス系印刷などではかえって最近はこのパターンが多いかもしれない)、少なくとも出版印刷関係では相手にされない。なんといっても雑で手がかかるのだ。けれど、今回の仕事はまったくクォリティを求められるものではなかったので、とりあえずこれで胡麻化しを打ったわけだ。ちなみにOpenOfficeは、MS Word同様に縦書に対応しており、いちおうは日本語組版の基本はすべてできる。PDFにフォントも埋め込まれるし(いまどきこんなことが問題になるアプリケーションはないのだが、OS9時代のユーザーにとってはけっこう死活問題だ)、日本語レイアウトソフトとして使用に耐えないとまではいえない。ただ、もともとが横書対応なので、たとえば見開きにすると左右ページが逆転してしまったり、ぶら下げの禁則処理が野暮ったかったり、ルビの設定がいらいらさせられたりと、日本語組版特有の問題に完全に対処しきれているとは言いがたい。さらに、フレームの使いかたなど、MS Wordと互換であるが故のうっとうしさは免れない。だから本当ならこれは使いたくないソフトである。そこで、Scribus以外に代案がないのかなと探してみた。
実は、Ubuntuを使いはじめるにあたって、参考にした記事がひとつある。それはWeb検索で出てきたもので、アメリカのデザイン系の大学の教室が、デザイン業界のスタンダードであるMacintoshを捨ててUbuntuに乗り換えたという報告であった。
  http://opentechpress.jp/article.pl?sid=06/03/27/0518227
これを読んで、私は、「ここまでできるんならLinuxでもなんとかなるかもしれない」と希望をもったわけだ。そして、困った場合はここに羅列されているアプリケーションを試してみればいいと考えていた。
そこで、再びこのサイトを訪れてみると、レイアウトソフトとしてScribusのほかにPassepartoutというのが挙げてある。早速synapticで検索してみると、インストール可能である。それならばとインストールして試してみた。Passepartoutは、LaTexなどとはちがって、私のイメージにあるWYSWYGのレイアウトソフトである。しかし、Scribus、あるいはIndesignやQuarkといった通常のレイアウトソフトとはちがって、画像やテキストといったパーツの配置に特化している。画像がいじれないのはもちろん、テキストの中身もいじれない。ただただ配置をするだけである。
そういったシンプルなアプリケーションもいいかなと思う。ごてごてと機能満載のややこしいアプリケーションは嫌いだ。ちなみにこのPassepartoutという単語、「額縁」という意味だそうで、なるほど、中身よりも外枠を問題にするというレイアウトの基本を外さないいいネーミングだ。もっとも私はこの単語を見ると、ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」に出てくるフランス系の小粋な召使を思い出す。そんな気の利いた世界を、このアプリケーションに期待した。けれど、結論をいうなら、やっぱり私にはこのアプリケーションは使えこなせそうにない。というのは、パーツであるテキストの部分を、XMLを使ってレイアウトするようになっているからだ。ということは、まずXMLのアプリケーションを指定して、その上で、テキストエディタでXMLソースの指定をしていかなければならない。これは印刷業界でかつて常套手段として使われたタグの指定と似たような作業になるが、それにしてもやっぱり私にはこういうことを能率よくこなしていくだけの知識が欠けている。XMLは、これからはあらゆる文書のスタイルを指定していく標準になっていくといわれている。現在は頭の痛い問題であるMS Wordの独自形式も、XMLの拡張で解消されるだろうといわれている。そういうことは非常に期待できる流れではある。しかし、そういった流れは、私のような素人の目に見えないところで働くものであってほしい。私がパソコン環境で期待するのは、使い易いGUIであり、WYSWYGの発想で使えるアプリケーションである。ソースをいじるのはプログラマに任せたい。たとえそれがタグ付けのような単純なことであっても。Passepartoutはシンプルだけど、シンプル過ぎて必要な作業をほかのツールに投げ出してしまうという不親切なところがあった。プログラミングに詳しい人ならそれでいいんだろう。けど、そういう人なら、むしろLaTexを使うかもしれない。なかなか私がこれと思えるレイアウトソフトの代案には、Ubuntuではたどり着けない。まだまだしばらく模索が続きそうである。
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2006年08月10日

ヘルプは見てみるもの ─その2

デスクトップが思うようになったことに気をよくしてさらにヘルプを読んでいたら、デフォルトの動画プレーヤーTotemで初期設定外のファイル形式を読むために追加するプログラムが記載されていた。gstreamerという名前を含んだファイルで、全部で5つある。例によってsynapticからインストールしたら、いままでVLC Media Playerからしか再生できなかったMOVファイルの再生がTotemで可能になった。これはうれしい。実は、以前にもこのgstreamerのファイルは発見していて、これをインストールしたらきっとMOVファイルが読めるようになると思っていた。ところが、このgstreamerには上記のようにファイルが5つある。どれをインストールしたらいいのかわからず、説明を読んで「たぶんこれだろう」と思うやつを入れていた。けれど、どれかを選ぶのではなく、全部インストールする必要があったらしい。なるほど、そういうことだったのか。このほか、Firefoxのプラグインとか、MSフォントのインストールとか(これで少なくとも欧文に関してはWindowsと同じフォント環境ができた。しかし、これって著作権は大丈夫なのかねえ)、ヘルプを読んでインストールできたファイルがいくつもあった。やっぱりヘルプって、役に立つ。いまさらだけれど。
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ヘルプは見てみるもの

Ubuntuのデスクトップの外見は、細かにカスタマイズすることもできるのだが、おおざっぱにはテーマの設定で大きく変えることができる。このあたりはWindowsやMacintoshと同じである。私は特にお気に入りの写真を壁紙に貼りつけるような趣味もないので、最初におおざっぱに適当なテーマを選んで、それからはたいしてデスクトップの外見を変えることもなかった。強いていうなら、アイコンの表示サイズや表示フォントを指定したり、メニューバーが天地の2本あったのをMacintosh風に天に統一し、メニューバーの幅や項目をカスタマイズしたくらいだろう。実際には、デスクトップをもうちょっと自分流にアレンジしたいという感覚はあった。長年のMacintosh使いなので、できるだけMacintosh風のデスクトップが手に馴染むわけだ。そういう意味からいえば、このテーマでごみ箱がメニューバー(パネル)に配置されているのはどうも好きになれなかった。単純に見慣れないというだけではない。メニューバーのアイコンは小さく、捨てようと思ってドラッグしたファイルがどこかにいってしまったり、ひどいときにはメニューバーの項目として追加されてしまう。これではありがたくない。できればごみ箱はデスクトップにあったほうがいい。そう思ってはいたが、方法がわからない。わからないわからないで1ヶ月以上が経過した。ふつうなら、わからないことがあればヘルプを開くのだろう。そこに思い至らなかった私はけっこう抜け作である。ともかくも、ようやく、「そうだ、ヘルプがあった」と思って開いてみた。すると、例の設定エディタでnautilusの設定をいじれば、デスクトップにごみ箱を表示させることができるのがわかった。なあんだ。メニューバーのごみ箱は、パネルの設定で簡単に削除できる。これで、Macintosh(OS9)風のデスクトップに一歩近づいた。なお、この設定エディタを使えば、Windows98風にマイコンピュータや文書フォルダをデスクトップに表示することも可能である。そこまでの必要は感じなかったのでやらないが、まあ、ヘルプには聞いてみるものである。
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2006年08月09日

デスクトップ検索への憧れ

数日前、AppleのSteve Jobsが来年リリース予定のOSX10.5(Leopard)の予告を行ったそうだが、けっこう期待外れの声が多く聞かれる。まずSteve Jobsは現行のOSX10.4(Tiger)とMicrosoftが開発中のVistaの機能比較を行い、前宣伝ばかり高くリリースの遅れているVistaが実際にはTigerと大差ないことを明らかにしたらしい。これは実際その通りだろう。Vistaの目玉とされているデスクトップサーチはTigerで導入されたSpotLightそのものだし、そのほかの「新機能」も、たいていはMacで実現しているものばかりである。しかし、大方の期待を裏切ったのは、大規模なアップデートと目されているLeopardが、実際にはTigerのマイナーなアップデートにしかならないのではないかという点であるらしい。細かなことは10.2.8で止まってしまったMacユーザーの私にはわからないが、「それだったらいまのTigerでもできるじゃない」ってことが発表のなかで多かったということらしいのである。いずれにせよ、これだけハードディスク容量が大きくなって個人がため込むデータが増えてきたこの時代、デスクトップサーチがOSの目玉になりつつあるのは間違いがないだろう。Windowsの場合、Vistaを待たなくてもGoogleからデスクトップサーチをダウンロードしてインストールできる。妻が使うのを横目で見ていたら、これは実に便利なツールである。実際、私も将来こういうツールを使うことを想定して、検索して使いたいようなデータベースをため込み始めている。いつか最新のMacを買ったら、Spotlightの機能を最大限に活用しようと思っているわけだ。それを待つまでもないのかもしれない。Ubuntuには、Googleのデスクトップサーチとよく似た「デスクバー」というツールが備えられている。これは、デスクトップのメニューバー(パネル)のカスタマイズ(右クリックもしくはF12)でメニューの追加を選択すると、見つけることができる。通常のファイル検索とちがって、ファイルの中身まで瞬時に検索するという機能をもっているようだ。ただ、残念なことに、これはちょっと使う気になれない。というのは、データのファイリングにOpenOfficeのデータベースを使うようになっているらしいからだ。OpenOfficeはメモリをかなり消費するので、私の環境では常駐させるわけにいかない。ハードディスクもそこそこ消費するようだし、なによりもデスクトップとOpenOfficeという継ぎ目が気にくわない。やはりこういうものは、シームレスに動いてナンボのものだろうから。まあ、これからの時代、なくてはならないツールになってくるから、そのうちUbuntuにももっといい形で実装されるようになると思う。そのとき私がMacに戻っていなければ、改めてお世話になるとしよう。
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2006年08月08日

Linuxのアプリケーションが豊富なんて誰が言った?

たぶんターボリナックスかリンドウズ(リンスパイア)の謳い文句だったと思うが、Linuxはフリーのアプリケーションが豊富にあり、望めば数千ものプログラムが使い放題であるというものがあった。MacでもWinでも世の中にフリーウェアは数多いが、Linuxの場合、その成立ちからいってさらにフリーのアプリケーションが多い。のだろうと、そういった広告を見て私は思っていた。けれど、この数千という数は相当に割り引かねばならない。私のUbuntuの場合、PPC版(Mac版)ということでインストール可能なプログラムの数はSynapticに登録されているものだけで千数百ある。数千とまではいかなくとも、大変な数である。よりどりみどり、自分にあったソフトを選び放題、と思ったら実はそうではない。というのは、この千数百の中には単体で動くアプリケーションだけでなく、プラグインや設定ファイル、データファイルなどが大量に含まれているからだ。たとえば、日本語環境で使う場合、日本語用のデータファイル(と英語用のデータファイル)を入れれば、残りの数十のローカライゼーション用のファイルは不要になる。こんなふうに、使おうと思っても使いようのないプログラムが大量に含まれている。デスクトップ環境が複数存在するというのも、デフォルトのデスクトップ環境であるGnome以外の環境で使用するアプリケーションの多くが実用的に使えないという結果を生み、また大量の(素人には)使えないプログラムの山を築いている。ということで、千数百もアプリケーションがあると思ったら大間違いで、素人がGUI環境で使えるアプリケーションはたいして多くない。もちろん、Web関連やオフィスツールなど、基本的な業務に必要なアプリケーションは揃っているから支障はないのだが、たとえば複数のテキストエディタを比較検討して気に入ったものを使おうというような贅沢は許されていない。テキストエディタはいくつか使用可能なものがあるにはあるが、実用的にはデフォルトのGnomeテキストエディタ以外に選択肢はないようなのだから。Macの場合、マイナーなフリーウェアを探してきては、インストールして試してみるのが楽しみだった。なかには(たとえばグラフィックのSeashoreやTVviewer、FTPクライアントのCyberDuck、テキスト操作のiSedなど)、手放せないツールになったものも少なくない。Ubuntuの場合、こんな宝探しの楽しみはなさそうである。
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2006年08月07日

Scribusは期待外れ

MacOSX10.2.8を使っていていらいらさせられたのは、世間のソフトがだんだんとOSX10.3以上の対応になってきていたからでもあった。特に、小難しい権利関係を気にせずに使えるOpen SourceのソフトがどんどんLinuxからMacに移植されつつあるのだが、その多くが10.3以上の対応であった。もちろん1万円出してOSをアップデートすればいいのだが、パソコン屋の店員によれば私のiBookではOS10.3以上はハードウェアがしんどいだろうということだったし(最近そうでもないような噂も聞いたが、少なくともメモリは不足するだろう)、それならば中途半端なアップデートで貧弱な財布を痛めるよりは、我慢して最新のMacBookに手が届くまで待とうというのがUbuntu以前の私の方針だった。金のない話はともかくも、OS10.3以上の対応で悔しい思いをしたソフトのひとつに、Scribusというものがあった。これは、DTP用のレイアウトソフトである。私の仕事は基本的には印刷以前の原稿にかかわるものであるが、ときには印刷データ、あるいはそれに近いところまで自分で処理しておいた方が話が早い場合がある。印刷業界で三種の神器といわれるのはAdobeのInDesign、Illustrator、Photoshopである。これらはすなわち、レイアウトソフト、ドローイングソフト、ビットマップ画像処理ソフトということになる。ビットマップの画像を処理するソフトは最近ではけっこうどこにでも転がっているが、ベクターのドローイングのソフトは数は多くないし、さらにデータをEPSで書き出せるのはごく限られている。そして、そういったビットマップ画像やドロー系の画像とテキスト書類を組み合わせてレイアウトを付けることができるソフトは、ごく限られている。WordやOpenOfficeでレイアウトできないことはないが、こういったワープロソフトはプロの使うレイアウトソフトから比べれば実に使い勝手が悪い。InDesignかQuarkXpressが業界標準だし、マイナーなところでもSumiEdiとかPageMaker、廃版になったFrameMakerや欧文ならRagTimeといったレイアウトソフトがどうしても欲しくなる。けれど、こういった便利なツールは、無料で転がっているものではない。ところがLinuxのScribusは、Opensourceで無料だという。それもMac版が出たというのだから早速試そうと思ったら、OSのバージョンに阻まれて悔しい思いをした。このソフト、もともとLinuxが本家なのだから、Ubuntuに移ってからずっと試してみたいと思ってきた。実際、最初からUbuntuのアプリケーションのリストにも入っていて、「いつでもどうぞ」という感じだった。
ただ、その後、レイアウトをしなければならないような仕事がしばらく絶えていた。だから、ここまで試してみることもなかったのだが、ひさしぶりにそういう系統の仕事があったので、わくわくして起動してみた。けれど、しょっぱなで壁にぶちあたってしまった。たしかにレイアウトソフトの基本機能はおさえているようだし、それほどインターフェースも悪くない。日本語化は一部おこなわれているようだが、とりあえずUbuntuに入っているのは英語である。しかし、レイアウトソフトに慣れていれば、特に迷うこともない。私が突き当たった壁というのは、日本語レイアウトに特有のものだ。すなわち、日本語には欧文にない縦書というレイアウトがある。さらに、ルビや割注などの特殊な組み版がある。文字コードもUnicode以外のものを多く扱う。こういった視点は、当然ながら外国のソフトには欠けている。結局、縦書のレイアウトができないことで、Scribusはお蔵入りとなった。。きっと悪くないソフトだろうから、欧文の仕事がきたときには使ってみてもいいけれど。でも、日本語組み版がきれいにいかないんなら、嬉しくはない。
やっぱり私の仕事はLinux向きではないんだろうか。
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自動アップデート?

MacでもWinでも最近のOSにはオンラインであることを前提にした自動アップデートの機能が存在する。この機能をオンにしておくと、定期的に、あるいは必要に応じて、OSのアップデートをチェックして必要なファイルをダウンロードし、インストールの手配をしてくれる。ユーザーは、ただ「アップデートしますか?」というダイアログで「はい」というだけで、各種アップデートやセキュリティのパッチが更新される。いまではメーカーもサポートを止めてしまったWindows98を数年前にある機械にインストールしたとき、インストール直後とアップデートの直後では、まったく別のOSではないかというほど機能が変化していた。以前使っていたMacでも、本体添付のOSX10.2.2をインストールして使っていたら、いつの間にか10.2.8にアップデートされていた。多くのアプリケーションが「OSX10.2.8以上」と対応を指定しているため、このアップデートはうれしい。実際、10.2.2と10.2.8では相当に機能がちがうような印象がある。どこがどうとはもう覚えていないのだけれど、確かSafariの追加とか、かなり大がかりなことがあったんじゃないかという気がする。そんな自動アップデートの機能を、Ubuntuも備えている。OSだけでなくいくつかのアプリケーションに関しても自動でアップデートをチェックして知らせてくれる。Ubuntuをインストールしてからの1ヶ月あまりだけでも、OSはもちろん、FireFoxやThunderbirdのアップデートを勝手にやってくれたようである。さて、以前にやってみたとき、AppleのQuickTime対応のMOVファイルの再生がどうもうまくいかないと感じていたのだが、これがいつの間にかVLCメディアプレーヤーを使えばスムーズに再生できるようになっている。いろいろ試行錯誤をしていたときにはどうもうまく動かなかったのに、ひさしぶりに触ってみたら動くのだ。
これは、ほかのことを触っているときに設定を変えたせいかもしれないが、ひょっとしたら自動アップデートが効いたかなとも思っている。自動アップデートは、どこがどうかわるのか(たとえアップデートファイルの説明やログがあったとしても素人には)わからないのが不安だが、しかし、まあたいていはよくなるんだからありがたい機能だといえるだろう。
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2006年08月04日

CD作成は簡単

Ubuntuの場合、基本的に周辺機器はプラグ&プレイになっている。たいていの周辺機器に対応したドライバがあらかじめ組み込まれているわけである。
これはWinXPでもMacOSXでも基本的に最近のOSはどこでもそうである。ドライバのインストールというややこしい手順を踏まなくても周辺機器が使えるのは、一般ユーザーにとってうれしい話だ。もちろん、機器の特徴を最大限に生かすためにメーカー供給のドライバが必要な場合もあるわけだが、基本機能は汎用ドライバで間に合うようになっている。実際、データコンバートその他の必要があって、Ubuntuをインストールした直後には外付けHDをよくつないだが、USB接続であってもFireWire接続であっても、何の問題もなくよく認識した。そのときはそれが当然という感じで何とも思わなかったのだが、よくよく考えたらこれもまあ、プラグ&プレイなわけだろう。その後は、プリンタ程度しか周辺機器を使うこともなかったのだが、そろそろデータのバックアップの必要もあって、CD-Rをつないでみた。FireWire接続の機種である。実はこのBuffaloのCD-R、MacOSXの汎用ドライバは対応していない。読み込みはできるのだが、書き込みに関してはMacOSのDisk Burnerは使えず、機器に添付されていたB's Recorderを使うことになっている。それはそれでいいのだが、このCD-RをiBookとともに譲り受けた際に、添付のCDをうっかり処分してしまった。その時点ではOS9で使っており、OS9版のB's Recorderはインストールされているのだが、OSX版はインストールされていなかった。だからせっかくのCD-Rなのに、書き込みはOS9からしかできないという何とも使い勝手の悪いことになっていた。これがMac時代にOS9を捨てきれなかった理由のひとつである。MacのOS9とOSXの間の断絶は、けっこうユーザーをいらいらさせる。ともかくも、Ubuntuにしたら、この使えなかったCD-RがちゃんとOSネイティブのCD/DVDクリエイタから操作できる。かなり大量のバックアップファイルもスムーズに書き込めてご機嫌だ。Ubuntuが優れているというよりは、最新のOSが優れているといった方がいいのだろう。しかし、MacでもWinでも、バージョンアップは無料ではない。MacOSなら1万円以上出して最新のOSを買わなければならないところが、Ubuntuでは無料でできる。フリーのOSのありがたさである。
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2006年08月03日

時計の遅れ、その後

Ubuntuにしてから時計の遅れがはなはだしいと以前に書いた。「システム」→「システム管理」→「時刻と日付の設定」で「インターネットサーバーで定期的に時刻を同期」ににチェックを入れておいても、1日に2〜3分も遅れてしまう。これはかなわない。何がおかしいのかと悩んでいたが、実はこれ、時刻情報を提供するサーバーの問題だったようである。「時刻サーバーの設定」でサーバーを別のものに変えたら、ほとんど遅れなくなった。初期設定がどうなっていたのか覚えていないのだが、初期設定の段階で既に遅れが発生していた。そこで、近くがよかろうと、日本の福岡と中国の香港のサーバーを選択していたのだが、どうもこれがいけなかったらしい。ためしに韓国とスウェーデンのサーバーに変えてみたら、時刻の遅れはほとんど気にならなくなった。まだ少し遅れるようであるが、秒単位である。
韓国かスウェーデンの一方にした方がいいのか、あるいは別のサーバーもしくは別の組合せがよりよいのか、そのあたりはこれから気長に試行錯誤していった方がよさそうだが、ともかくも香港のサーバーはダメだったようだ。これはなにも、香港の時計が遅れているというのではないと思う。ただ、なぜか同期がうまくいかない。プロトコルが違うのか、それとも「定期的に」同期をはかるときにうまくタイミングがあわないのだろう。時刻サーバーなんてどこでも同じと思っていたが、相性があるようだ。
こんな落し穴には、なかなか気づかない。
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2006年08月02日

システムは安定しているか?

かつて、Winは数時間おきに再起動しなければフリーズしてしまうというひどい代物であった。よくあんな製品を世の中に出して販売できたものだと思うが、商売人なら灰だって売りつけるのだろう。Macはそこまでひどくはなかったが、それでもやっぱりたまにアプリケーションがフリーズし、そんな場合は強制的に再起動するか、アプリケーションが終了したとしてもいったん再起動しておくのが常識だった。アプリケーションがこけたあとで再起動せずに使っていると、たいていは遠からずトラブルが起こるからだった。WinXPやMacOSXになって、基本的にはこういった問題は解消した。Unix系のOSは堅牢で、OSの上で走っているアプリケーションがこけても、OSそのものにはダメージがない。そのまま再起動せずに使いつづけて基本的にOKである。まあ、WinXPの場合、やっぱり再起動する方が安全だとは思うけれど。ただ、MacOSもWinXPも、メモリ搭載量が小さいと極端に動きが遅くなる。これはUnix系だからなのか、それとも単純に大メモリを前提に設計されているからなのか、素人である私にはわからない。感覚としては、システムの安定のトレードオフとして、メモリの消費が大きいような印象がある。かつてのMacOS7〜9にあったような「仮想メモリ」の設定はなくなり、メモリがたりなくなると自動的に仮想メモリ領域をつくっていくようだが、こうなるととてつもなく遅い。だから、WinでもMacでも、メモリの増設は必須である。私のiBookの場合、出荷時のメモリは128Mだったが、倍の256Mに増設してある。ちなみに、以前使っていた別のiBookは出荷時が256Mで、384Mに増設した。本来なら512Mは欲しいのであるが、財布と相談の上でこんなことになっている。昨年からMacの遅さにいらいらしていたのは、実はメモリが足りないからという事情もあったわけだ。それでもメモリの増設をこれ以上しなかったのは、この古い機械にこれ以上投資するよりは、その分お金を温存して、新しい機械が欲しいと思っていたからだ。UbuntuもUnixの系統のOSであるから、やはりメモリの量にシステムの早さと安定が大きく依存しているように感じる。アプリケーションを立ち上げすぎると、ある時点から急速に遅くなる。これはMacOSXやWinXPと同じだ。
そして、安定性ということでいえば、いまのところの印象では、MacとWinの中間ぐらいだろうか。使用中に特に再起動の必要性は感じないが、それでもメモリ不足からいったん遅くなったときには、アプリケーションを終了するだけではなかなか早さが復活しない。再起動が手っ取り早い解決策のようである。正直、もうちょっとシステムが安定していてくれたらと思うが、まあ、メモリの増設もしないでOSにばかり文句を付けるのは筋違いなんだろうな。メモリの不足とシステムの安定は、本来別の問題なんだろうし。
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2006年08月01日

不快な音

MacはハードウェアとOSが統合されたシステムなので、どこからどこまでがハードウェアの仕様で、どこからどこまでがOSの仕様なのか、Macだけを使っていたのではわからないところがある。Ubuntuに変えてから、そのあたりに意識がいくようになった。たとえば、スリープ時のパイロットランプの点滅はハードウェアの仕様だと思っていたが、どうやらこれはOSの仕様である。というのは、Ubuntuに変えてから、この点滅の「滅」の明るさが、やけに明るいような気がするからだ。私としてはこれは気にくわないのだが、ともかくもOSを変えたら変わったというのは、ハードウェアの仕様ではないのだろう。一方、OSの仕様だと思っていたのが、そうではないらしいとわかったものもある。同じスリープの現象なのだが、スリープから復帰時に、ときどきヒュンヒュンという耳障りな音を出すことがある。これはMacOSを使っていたときから気になっていた。たぶんエラーが起こったときに鳴るのだと思うのだが、どんなときに鳴ってどんなときに鳴らないのか、いまだに見当がつかない。電車のなかで大きな音がして恥ずかしい思いをしたこともある。音量調節を下げるかミュートにしておいた場合に鳴らないケースもあるようだが、そうしておいても鳴る場合もあるようで、どうにも厄介だ。この不快な音が、Ubuntuにしてからでもときどき鳴る。OSを変えても同じ音がするのだから、これはきっとハードウェアの仕様にちがいない。まあ、どっちの仕様でも構わないのだが、この嫌な音はもう聞きたくない。夜中に子どもが寝ているときなんか、心臓がどきっとするのだから。
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2006年07月31日

さらに寝起きはよくなった

Ubuntuでは、Alacarteメニューエディタというアプリケーションでメニューバーの項目をカスタマイズできる。このアプリケーションを起動すると、普段は使わないアプリケーションが存在するのがわかる。たいていは一般ユーザーにとって不要なものだ。不要なアプリケーションはメニューバーのメニューから隠しておいた方が合理的だろう。この隠れているアプリケーションのなかに、システムツールの「設定エディタ」というものがあるのに気がついた。どういうものかなと思って起動してみると、隠しファイルになっている数多くの設定ファイルをいじることができるものらしい。マニアっぽいサイトでは設定ファイルはターミナルを起動してカスタマイズするようになっているが、こういうのは素人にはとてもできない。この「設定エディタ」も決して素人向きには思えないが、それでも多少は理解しやすいユーザーインターフェースである。これを使って「電源の管理」の設定を変えたら、これまでできなかったスリープ(サスペンド)からの復帰のパスワード入力画面の省略をおこなうことができた。私のパソコンは私しか触らないのだし、仮にスリープからの復帰でロックをかけても起動時のロックを外してあるので、再起動されれば第三者に簡単に見られる設定だ。スリープの復帰にパスワードの入力を求める意味は私のパソコンについてはほとんどないので、これを外すのは嬉しいカスタマイズになる。早速スリープさせて復帰してみると、パスワード入力画面に進まない分、ずっと復帰にかかる時間が短くなった。寝起きがいいのは何よりだ。これでまた、少しはストレスが減少するかな。
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2006年07月30日

DOC互換のOpenOffice

Ubuntuに変えようと思ったことのひとつの理由は、それがネイティブでOpenOfficeを走らせることができるからである。Macの場合、NeoOfficeとよばれるOpeOfficeの亜種があるが、これはJava環境で動くため、かなりメモリに負担をかける。私の古いハードウェアでは這いずるように遅かった。それがUbuntuなら十分に早いだろうと見当をつけていたし、実際に早いから助かっている。もちろんワープロや表計算をするのに何もNeoOfficeを使わなければならない理由はない。Macには(古い時代の機種には)標準でAppleWorks(さらに古くはクラリスワークス)が付属していたし、これはけっこうユーザーフレンドリーで使い勝手のよいソフトであった(なぜかバージョンが上がるごとに使いにくくなってしまったのだが)。こういった代替品がある以上、NeoOffice(つまりOpenOffice)は不要のはずである。しかし、世の中には私以外のパソコンユーザーがいて、勝手にデータを送ってくる。その多くはMicrosoftが勝手に定めた仕様をスタンダードと勘違いしている。だから、WordのDocファイルやExcel、PPTのファイルが読めなければ仕事にならないのである。OpenOfficeはこういったMicrosoft仕様といまのところもっとも互換性がいいので、「誰がビル・ゲイツになんか金を払ってやるか」と思っている人間にとっては欠かせないソリューションなのである。いや、実際にはOpenOfficeだけがDocファイルを読めるアプリケーションではない。Adobeをはじめとする多くのレイアウトソフトはDocを読み込むことができる。MacでもOS10.3以降は不完全ながらDocファイルを読み書きできる。そのほか、Win版であればいくつかのDoc形式対応のソフトがある。たとえばLotusなんかもかなり互換性はいい。有料ではあるけれど。Macで動くフリーのソフトでは、NeoOfficeのほかにはAbiWordがある。Javaを使わない分だけスムーズに動くので、これを使って仕事をしようとしていたときもあった。しかし、少なくとも私のOS10.2の環境では、日本語入力に難があって使えなかった。入力中にバグと思われる入力ミスが多発するのである。Ubuntuにして例のsynapticを見ていたら、やっぱりAbiWordがある。もともとLinuxのソフトをMacに移植したものだから、こっちが本家なのだ。早速インストールしてみたら、やっぱりMac版よりも動きがいい。けっこう使えるかもしれないと期待した。だが、やっぱり日本語入力がうまくいかない。こっちのほうではバグと思われるものは起きないのだが、インライン入力ができない。はるか昔のワープロに戻ったみたいだが、懐かしんでばかりいてもしかたない。いまどきインライン入力ができなければ、実用的とは言いがたい。なにか工夫があるのかもしれないが、素人がいじれる設定にはその解法は見つけられなかった。まあ、OpenOfficeが動くので無理に使う必要はないのだけれど。
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2006年07月29日

MacBookでUbuntu?

現在使っているiBookの遅さに我慢ができなくなってきたのは昨年暮れ頃で、そのころからもう、私はまだスペックさえ噂にのぼっていなかったMacBook(そのころはまだそういう名称になるともわからなかったが、つまりはiBookのIntel版後継機)の登場を待ち望んでいた。3月頃からは毎日のようにニュースサイトを検索しては、発売をいまかいまかと待ち望んだ。いろんな噂が飛び交ったが、ようやく発売されて、あとは財布と相談しながら決断するだけというところまできていた。しかし、財布はうんといってくれないし、Appleの常として最初のうちはトラブルが多いのは見えているしで、Ubuntuに逃げ込んだ。とりあえずこの逃避は成功だったようだが、さて、それではこの先、財布がいい顔をしてくれたらMacBookを買うのかどうかということになる。実は、買うかどうかという判断にさらに複雑な要素が加わっている。MacBookを買ったあと、OSをどうするのかということである。Intel Macは、BootCampを使ってWinXPをインストール可能である。BootCampではXP以外のOSはインストールできないが、裏技でXPをインストール後にXP機にLinuxをインストールする手順でさらに別のOSをインストールできるとも聞く。Boot Camp以外にもエミュレーター風にMac上で他のOSを起動するソフトも販売されている。
となると、UbuntuをMacBookで走らせることも可能である。実際、MacとUbuntuで検索をかけたら、私のように古いMacをUbuntuで再生させるという話はほとんど出てこずに、最新のMacBookでAT版のUbuntuを走らせてみたという体験談ばかり出てくる。私はこれで1ヶ月Ubuntuを使ったわけだし、たぶんこれからも何ヶ月かは使っていく。そのとき、Ubuntuを使いつづけたいという気持ちが出ないだろうか。MacとUbuntuを併用していく可能性はないのだろうか。あるいは、ハードウェアだけ最新のIntel Macで中身はUbuntuという選択をするのではないだろうか。答えはおそらく否である。IT技術者でもない私は、複数のOSを併用する利点がほとんどない。そしてMacかUbuntuかという選択を迫られたら、もしそれが十分に早いのであればMacを選択するだろう。やはりMacには他のOSにない魅力があるのだから。ただし、もうひとつだけ別の可能性が浮かんできたのは事実である。それは、Macに別れをつげて、AT機を購入し、そこにUbuntuを入れて使うという可能性だ。財布の事情だけなら、こっちのほうが可能性が高い。たぶんMacBookを買うよりもずっと少ない金額で現在よりも相当のアップグレードができるだろうから。
私の心情は、Macを捨てるのに否定的である。しかし、諸事情のなかでどうなるか、もう少し時間がたたなければわからない。まあ、少なくともMacBookでUbuntuという可能性だけはないと思う。
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見慣れないアプリケーション

Ubuntuには、FirefoxやOpenOfficeといったMacやWinでもおなじみのアプリケーションがデフォルトで搭載されている。しかし、なかには初めて耳にするアプリケーションもあった。
メーラーとしてはEvolutionというものが搭載されていたが、こんなソフトは聞いたことがなかった。開いてみると、案外とユーザーインターフェースはいい。Ubuntuをインストールした直後に少し触ってみた。使い勝手は悪くないようだ。単なるメーラーではなく、WinのOutlookのようにスケジュール管理や住所録、メモやタスクなどを一括して扱うことができる。妻は一時はThunderbirdを使っていたのにしばらくしてOutlookに戻したのは、このスケジュール管理を利用したいがためだった。Outlookの扱いにくさをこぼしながら、ずっとそれを使っている。これならEvolutionの方がいいかもしれない。フリーでよくここまでできるもんだ。ただ、このEvolutionは、結局使わないことにした。Macから移動する古いデータがThunderbirdのものだったということもあるが、それはたぶん、たいしたことではないだろう。NetScapeのデータはインポートできるようだから、たぶん工夫すればThunderbirdのデータだって大丈夫だ。使わなかった理由は、非常につまらないものである。Evolutionでは送信ボタンと受信ボタンが分かれておらず、「送受信」となっている。はるか昔のEudoraユーザーであった私は、これが嫌だ。送信は送信、受信は受信で別々に操作したいと思っている。実に些細なユーザーインターフェースであるが、最終的にこれが決め手になってThunderbirdをインストールすることにした。ちょっと使ってみたい気持ちはあったのだが、とりあえずさよならEvolutionである。
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2006年07月27日

古いMacintosh

Intel Macの登場で私のiBookをはじめとするG3、G4、G5のPowerPC搭載のMacintoshは旧世代の機種となってしまったわけだが、私はG3以前の世代のPowerPC、さらにその前のモトローラの68KからのMac信者である。いまでは見る影もなく時代遅れのこれらの機械であるが、当時はそれで十分に仕事ができた。実際、68kの機種であるLC475はインターネットの初期にかなり長く愛用した。メーリングリストやメールマガジンのために膨大な文字を打ち込んだが、特にストレスを感じることもなかった。それをPowerPCのPM4400にアップグレードしたときは(世間では既にiMacすら陳腐化した時代だったにもかかわらず)、ずいぶんと早くなった気がした。しかし、それも3年前には限界を感じるようになり、最終的に使用を断念した。使っていた機械も上記のように相当な古いものだが、それ以上に私のパソコン環境を時代めいたものに見せていたのは、モニタである。15インチの縦型白黒モニタ、といって実物をイメージできる人はいまでもいるのだろうか。ふつうの15インチブラウン管なのだが、これを縦長に置いている。昔、印刷業界ではこのタイプがかなり使われた。ちょうどA4の用紙を実寸で置いた大きさに相当するから、ページ単位でレイアウトをつけていくときに作業効率が非常によかったからだ。これはテキストを書くときにも同じことがいえて、1ページをまるまる目にしながら書き綴っていくというのは非常にやりやすい。そこで、世の中がフルカラーになってからも手放せずに愛用してきた。事情さえ許せば、いまでも使いたいぐらいである。グレースケールで見る世界は、目が疲れなくて非常に心地よいのだし。残念なのは、このモニタがApple仕様であるため、相当に古いタイプのMacintosh以外では使えないことだ。以前使っていたPM4400はCPUのクロック数が200MHzだが、このあたりのクラスが最後だろう。ちなみに、このクラスの機械には、Ubuntuは通常の手段ではインストールできない。特殊な方法が必要なようだが、それはマニア向けだろう。だからこの縦型モニタは、泣く泣くお蔵入りになっている。骨董品としておいて置いてもいいのだが、だれか有効に使ってくれる人がいれば譲りたい。コメントで連絡いただければ、委細相談ですぐに送りますよ。
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