2007年05月11日

ミュージシャンもOK?

数日前、古い友人がふらりとやってきた。彼はミュージシャンである。といっても、世間の人はそうは認めないだろう。働きもせず、好きな音楽を中心に生活しているというのは、世間から見れば失業者か、よくて非正規雇用者というわけだ。この男のバックでかつてギターやベースを弾いていた私も、世間から見ればロクな存在ではない。積もる話が一通りすんだところで、話題はパソコンに移った。実はこの男が私をネットの世界にひきずりこんだ張本人というか、師匠にあたるのだ。それももう10年も前の話。ともかくも、私がUbuntuを勧めると、「ソフトがなあ…」ということになった。ミュージシャンの使うソフトといえばMIDI関係のシーケンサーが思いあたるが、最近は波形をいじって音を思いのままに操作するようなことが当り前らしい。そういったソフトがWindowsでは走るが、Linuxではどうなんだというわけだ。そこで、いっしょにパソコンの前にすわってsynapticで検索してみた。まず、シーケンサーとしてはすぐにrosegardenが出てきた。インストールして立ち上げると、「ああ、これなら使えそうだ」という反応が帰ってくる。「日本語なんだね」と驚いた様子。ただし、ハードウェアの関係か、設定が悪いのか、あるいは必要なファイルが欠けているのか、試しに使ってみることはできなかった。たぶん、ファイルを開くのに必要なコーデックスがないんだろう。とりあえずお試しということで深入りせずに、「じゃあ波形をいじるのは?」とまた検索。amsynthとかecawaveとかが出てきたのでどんどんインストール。「そんなにインストールして大丈夫?」と傍で心配してくれるが、そういえば昔は余分なソフトをインストールしてシステムを重くしてしまわないようにけっこう気をつかっていたなあと思う。Ubuntuの場合、たいていは大丈夫だという感覚が身についてしまった。インストールファイルそのものも重くないし、不要なファイルを起動時に読みこむこともないようだから。試しに入れてみたソフトは、いずれもシーケンサーと同じような理由からか動作はしなかった。けれど、友人は「これってWindowsよりよさそうだね」「帰ったらダウンロードしてみるよ」などと気に入った様子。音楽には私も興味があるから、彼が使いはじめたら、一通り、逆にいろいろと教えてもらおう。なんせ、打ち込みで曲を書いたなんてもうずいぶん昔のことになってしまったから。
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2007年05月09日

TextEditは日本語表示ができなかった

先月、先々月あたりにこのブログのエントリーがけっこうマメに続いていたのは、どうやら逃避行動であったらしい。締切のある仕事でけっこうプレッシャーがかかっていたのだが、そこから少しでも目を逸らしたい、けれど、それほどの時間もないという状況で、「仕事をするための環境は大事だよね」と自分に言い訳していろいろと使いやすいアプリケーションを探す。その結果としてネタが手に入って、それをもとに、「ま、ブログ書くぐらい時間もかからないし」と、仕事から逃避する。そんな事情で記事が続いたのだろう。4月の末で締切を過ぎてからは、ネタも手に入らないし、ブログを書こうという意欲も起こらない。プレッシャーがなくなると、そこから逃げ出そうというモチベーションもいっしょに消えてしまうわけだ。ともかくも、そんなこんなで5月に入って書き込みのペースが急に落ちてしまっているわけだが、懸案は懸案として残っている。しつこいようだが、「ちょっとしたレイアウトのつけられるエディタ、あるいは軽量ワープロ」の件である。synapticで入手できそうなものはもうあらかた試したと思っていたが、念のためにもう一度検索をかけてみたら、textedit.appというものが出てきた。rtfが扱えるということで少しだけ期待して公式ページに行ってみたら、フォントやフォントサイズ、文字色などの指定もできる。これは軽量ワープロとして利用できそうだと思ったが、「日本語環境がなあ…」という気もした。それでもものは試しとインストール。結果は、予想通り日本語対応がダメ。インライン入力がダメなのはまあしかたがないとして、フォントが文字化ける。フォントパネルでFree SansかFree Serif(前者がゴシック系で後者が明朝系)を指定してやれば一応日本語表示もされるが、ひらがなとカタカナだけで漢字は対応しない。文字エンコーディングの対応はかなりよくて、文字化けていてもきちんと入力はできているらしく、rtfで保存したものをOpenOfficeで開いてやるとちゃんと表示された。だから表示フォントだけの問題で、これはどこか設定ファイルでもいじれば直すことはできるのかもしれない。けれど、ヘルプファイルやプリファランスを開くことができず、手も足も出ない。infoを見てみると、このTextEditというソフトはNeXTが1996年頃に開発したものをそのまま使っているらしく、だからどことなく時代がかった雰囲気があるのだろう。昔のソフトでも別に構わないのだが、上記の日本語の問題から使用は断念した。公式サイトを見ると、この配布元は、NeXTSTEPの後継デスクトップ環境を目指すBackboneというプロジェクトらしい。だから、インターフェイスもちょっと変わった特徴がある。起動するとデスクトップ左隅にアイコンが表示されたり、ツールバーの代わりにプルダウン式メニューがあったりと、これはこれで面白い。たしかTEDも似たようなインターフェイスだったから、これはNeXTあたりの流れでヨーロッパに根付いたLook & Feelなのかもしれない。デスクトップ環境ごと移行したら、あるいは日本語の問題も多少改善するのかもしれないとも思う。しかし、このBackboneというプロジェクトは、開発中、リリースのない段階でもう数年も止まっているようだ。TextEditそのものはずいぶんと安定しているようなので、ちょっと惜しい気がする。
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2007年05月03日

gFTPは普通に使える

ひさしぶりにWebをいじり始めた。数日前、ここ半年ほどほとんどかかりきりだった大きな仕事がやっと片付いた。それはいいのだが、となると、次の仕事をとってこなければならない。私のような非力な人間にとって、そんな場合、頼りにせざるを得ないのがWeb siteだ。それをもう1年以上も手を入れずにほうったらかしてきたのだから、新規顧客がくるわけもない。これではいけないので、もう一回、仕切り直しをと考えたわけだ。で、とりあえず今のところは練習用のサイトをつくっていろいろと必要な技術を復習しているの。そして、その過程でアップロードしたファイルのパーミッションを書き換えねばならなくなった。ファイルのアップロードには、WindowsではFFFTPというFTPクライアントが有名だそうだし、私はMac OSXの頃にはCyberduckというのを愛用していた。いずれもパーミッションの書き換えは簡単にできる。Ubuntuに移って、最初、こういったFTPクライアント、あるいはFTPブラウザを空しく探したという件は、以前に書いた。結局、何のことはない、nautilusからそのままアクセスできるというあっけない簡単さに拍子抜けしたのだった。それ以来、こと、ファイルのアップロードに関してはUbuntuのほうが簡単だと思ってきたし、実際、ごくたまにファイルをアップロードする際にそれを実感してきた。デスクトップ上のフォルダを開いてファイルを移動するのとまったく同じ操作性で遠隔地のサーバー上のファイルを扱えるのだから、これは素晴らしい。ところが、今回、nautilusからアップロードしたファイルのパーミッションを変更しようとしてプロパティを開いたら、「アクセス権が不明です」という表示が出てしまった。通常なら、ここでアクセス権を変更するのに、それができない。エラーかなと思っていろいろやってみたが、どうにもうまくいかない。ひょっとしてnautilusではサーバー上にアップロードしたファイルのアクセス権は変更できないのだろうか。それともこれは、何か私の操作上の特殊事情やミスがあるのだろうか。その結論は出ていないが、ともかくも、「できない、できない」では話にならない。それで、ほかのアプリケーションを使ってみることにした。例によってsynapticで検索する。以前に探したときはいいのが出てこなかったのだが、今回はだいぶと慣れてきたせいか、すぐにgFTPというパッケージが出てきた。これをインストールする。すると、簡単にパーミッションが変更できた。と書けばすんなりいったようだけれど、実はインストール直後に使ったときは使いかたをうっかりまちがえたらしく、ファイルへのアクセスさえできなかった。この段階でもうちょっと慎重にやり直せばよかったのだが、「じゃあ他をあたってみよう」と、空しくほかのアプリケーションを試してみたりしていたので、余分な時間はつぶしてしまった。というのも、あまりにgFTPのユーザーインターフェイスがあっさりしすぎていて、「なんか、もうちょっと垢抜けたものがないの?」と思ってしまったからだ。しかし、改めてやり直してみれば、gFTPは必要十分な機能を果たしてくれる。そう思い直したら、これで十分だ。なにも探し回る必要はなかった。無愛想なユーザーインターフェイスはまさにWindowsのFFFTPを彷彿とさせるが、まあ、そういうソフトがあってもいいのだろう。それにしても、本当にnautilusではパーミッションはいじれないんだろうか? 単に設定の問題なのか? 余分な謎を抱えこんでしまった。
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2007年04月27日

Mousepadその2

「軽いテキストエディタ」としてXfceデフォルトのmousepadを使って一仕事終えたわけだが、その使いにくかった点。●バグ(ではないが、それに近いエラー)ひとつ
 使用中、頻繁にscim-anthyの変換候補ウィンドウが表示されなくなる。
 これはたぶんscim-anthyのほうのバグで、ほかのアプリケーションを
 使用中にも稀に発生する。いったんscimから出て再び入ると(私の場
 合ctl+space)回復する。別にどうということはないのだが、mousepad
 ではこれが頻発する。けっこう煩わしい。●仕様
 ・複数ウィンドウが開けない。ほかの文書を参照するには、いったん
  作業を中断するか、別のテキストエディタを立ち上げねばならない。
 ・検索ウィンドウがいちいち閉じる。次々と検索をかけたいときには
  いちいち開き直さねばならない。
 ・置換機能に、「置換せずに次を検索」というようなものがない。確
  認しながら、「これは置換で、これはパス」というような作業をす
  るのが相当に面倒になる。
 ・進行状況を教えてくれない。例えば保存したときgeditなら「保存中
  です」みたいな表示がウィンドウ下端に出るけれど、それがない。
  ときどき、「本当に保存したの?」と不安になる。とまあ、気づいたところをメモしたが、上記のバグにしろ仕様にしろ、「そういうもんだ」と思って使って特に問題はない。ことに仕様に関しては、「それが不便ならgeditを使え」というようなもんだろうと思う。なんでもかんでも機能を盛りこんで重くなるのも考え物。それこそgeditと同じアプリケーションが2つできるだけだろう。軽さに特化したアプリケーションとしてmousepadが、いろいろ機能の充実したテキストエディタと別にある意味は大きいのだから。さて、そうなると欲しいのは「少しのワープロ機能のあるエディタ、もしくは軽いワープロ」だ。別段レイアウトを付けるほどのことはする必要はないが、エディタから直接プリントアウトするときに見出しぐらいは目立たせたいとか、縦書で出せたら嬉しいとか、あるいはテキスト入力中に行間をもうちょっと開けた方が目が疲れないとか、そういった本質的ではない理由でちょっとしたレイアウト機能がくっついているテキストエディタは嬉しいのだ。本質的に必要としているわけではないから、OpenOfficeのような大がかりなものは要らない。というか、重たいから願い下げにしたい。これと、あとはレイアウトソフトさえあれば、もうUbuntu環境に不満はないのだけれどなあ。
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2007年04月26日

7.04効果?

実際どうでもいいようなことなのだが、この1週間ほど、このブログのページビューが増えている。といっても100前後/日が200前後/日になっただけだからどこぞの有名サイトのアクセス数と比べればいずれも無視できる微量には違いないのだが。「終わりにする」と宣言してから逆にコンスタントに書くようになっていることが影響しているのでそれなりに以前よりもアクセス数は増えていたのだが、それがここにきて急激に延びて、安定している。これはどうも、Ubuntu7.04がリリースになって検索でたどり着くひとが増えているからではないかという気がする。振り返ってみれば、このブログはもともと、何も知らない状態でただインストールCDだけを頼りにスタートしたUbuntu上で「とりあえず何ができるか探ってみよう」ということからブラウザを立ち上げて、「あ、ブログが書けたよ! できるんじゃないの」という感覚で始めたものだ。だから、内容はなんでもよかったし、個人的なメモぐらいのつもりでもあった。それがなんだかだらだら続いている。別に意味なく始めたものだからどこにも宣伝せず、最初のうちはスパム系のアクセスばかりだった。それで構わないと思っていたら何時の間にかコメントくれるひとも出現し、検索でも多少はいいところにいくようになったのか、7.04効果まで現れてしまった。適当にやりすぎて、自分でも「あんまりだなあ」と思うところもあったから、仕切り直しのつもりで別ブログに移行と思って2月にそっちをスタートしたけれど、ネタにするつもりだったPCに移行できないので、そっちも中途半端。なんだかなあ。と、まあ今回はどうでもいいエントリーだけれど、もっとどうでもいいUbuntu対Vista対決をやってるひともいる。世の中、忙しいんだか暇なんだかわからない。私を含めて。しかし、母音の比率が多いからUbuntuの勝ちなんて、わけわからんよ。
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2007年04月24日

軽いテキストエディタ

いままで空しく探しつづけているのは「機能の充実したテキストエディタもしくは軽いワープロ」なのだが、ちょっと趣向を変えて「軽いテキストエディタ」の話題。というのは、ちょっと現在やっている作業が、単なる文字入力(原稿書き)だからそれほどメモリを消費するものではないはずなのだが、いろいろな条件のせいか重たくなってきて、この500MHzのiBookの動きがもっさりしてきたからだ。それなら(私にとっては)中途半端に機能の多いgeditではなく、ほかのテキストエディタを試してみようかと考えた次第。テキストエディタとしては、以前にTeaとCreamが使えそうだという感触を得ていた。そこでそれぞれ試してみたのだが、結論からいうと、どちらもすこし使いにくかった。それぞれ他にない機能をもっているので特殊用途にはいいと思うが、単純に文字を書いていくだけだと、どうもいまひとつだ。というのはフォントの扱いで、特定のフォントの大きさにすると文字間がバラけてしまうというバグをもっているからだ。これでは滑らかな文章は書けはしない。テキストエディタは山ほどあるが、はっきりいって違いがわからない。それでも今回は「軽さ」にしぼって検索をかけると、Windowsの「ノートパッド」のようなテキストエディタとしてgnotepad、おそらくそのベースとなったgtkeditの2つが出てきた。上記のTeaにしろCreamにしろ、日本語化ができていないことからわかるように日本語に親切でないことが結局使用を敬遠する原因になった。gnotepadもgtkeditもかなり使い込まれたアプリケーションらしく、日本語化がしっかりできている。これはいいかもしれないと期待した。しかし、gtk2以前のgtkアプリケーションは、(少なくとも私の環境では)日本語入力のインライン変換ができない。文字も昔のMacintosh(9.xまで)みたいに(あるいはWinXPみたいに)、ジャギーがかかっている。これではちょっとねえ。最終的に試したのは、KDEデフォルトのKateとXfceデフォルトのMousepad。Kateは、非KDE環境のせいか重くてやっていられない。それに、KDE全般がそうなのか、どうも日本語にやさしくない。最終的に、もっともシンプルなMousepadに落ち着いた。このMousepad、できることはほとんどない。だからいままでバカにして使わなかったのだが、ひたすら文字を書いていくというだけなら、必要十分なことはしっかりできる。上記までに書いた不満、つまり日本語の表示に難があるとかインライン入力ができないとかいった問題がない。それが当然と思ってきたのだが、当然のことができるのがありがたい。そして、何よりも軽い。あっという間にファイルが開くのは本当にありがたい。ということで、「軽いテキストエディタ」ならマウスパッドで決まりでしょう。こういうのを必要とする機会はそう多くないけれど、覚えておくことにしよう。
(オマケ)先日、著作権延長のことを「胡散臭い」とかいたけれど、ちょっと方面は違うけど似たようなことを業界のひとが書いているのをみつけた。やっぱりねえ。
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2007年04月21日

街角のUbuntu

他人のネタなので気が引けるのだが、こちらの記事が非常に面白かったので、要旨だけ報告。ワシントン州レドモンドの街角のスターバックスに入ったら、客が店長にUbuntuのアップグレードに関する質問をしていたというもの。そのくらいUbuntuが一般化しつつあるらしい。著者は、「映画の小物でUbuntuパソコンが出てくる日も近い?」みたいなことを書いているが、そういえばMacintoshはよく主人公の机の上に載っているなあ。この記事のコメントがまた素晴らしい。10年後のリリースは、Warty Warthogか?(前がDでいまがF、次がGだし)。
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2007年04月20日

まだまだ見捨てられてはいない ─おめでとう、7.04

昨夜(正確な時間はわからないけれど、たぶん日本時間の日付が変わるころ)、Ubuntu7.04がリリースされた。で、今朝になって早速公式ページを覗いてみたら、なんだ、ちゃんとPPC版もダウンロードできるようになっている。なんだ、できるんじゃないか。ちょっと安心した。1月にもらえる予定だった新しい(中古の)Dellのパソコンもようやく3ヶ月遅れでようやく先方の都合がついたようだけれど、今度は仕事が忙しくて、とても移行できるような状態にないのでペンディング。予定が延びた分、このブログもずるずる延びている。そうこうするうちに環境がずいぶん安定してきたので、「このままいくか?」という気さえしてしまう。そんななか、UbuntuもPPCを見捨てなかった。うーん。不満もあるけれど、使い慣れた機械だしなあ。2台並べて使うほど器用じゃないし、さてどうするか。ともかくも、どっちにしろあと1週間は仕事仕事でアップグレードの余裕はないな。いずれにせよ、おめでとう!
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2007年04月18日

インターネットラジオは大丈夫? ─その2

とりあえずMacintoshともUbuntuとも関係ないのだが、先日インターネットラジオのことを書いたので、その続き。インターネットラジオの著作権料を値上げしようという動きは合衆国で思ったよりも急速にすすんでいるようで、5月にも値上げへの手続きが始まるということ。これに反対する業界団体(http://www.savenetradio.org/)も設立されているようだが、当局は冷淡。値上げは必至の状況らしい。元ネタはこのあたり。現実にどういうことが起こるのかはよくわからないが、少なくとも合衆国法の適用される範囲内からは、ネットラジオの発信が激減することになるんだろうな。ちなみに上記のサイトには、ミュージシャンからの「著作権値上げはアーティスト保護に逆効果だ」というメッセージが掲載されている。たぶんその通りなんだろうな。ラジオとは関係ないけれど、著作権強化の動き(世界的にも国内的にも)はどうも胡散臭いので、このあたりの署名もしておくことにした。結局は、誰の金儲けのためなんだ?
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2007年04月15日

passepartoutの利用方法?

レイアウトソフトが欲しいなあと思っているのだが、scribusはまだまだ日本語環境が未完成だし、もうひとつの選択肢であるpassepartoutはそれ以上に日本語対応がよくない。それでどちらも使うのをあきらめていたのだが、昨日、ふと思い付いてちょっとした用事にpassepartoutを使ってみたら意外と便利だったので、「ああ、こういう用途もあるんだ」と妙に納得した次第。何枚か写真があったのをまとめて人に送りたかった。まとめてというのは、つまり1枚の紙に貼りつける感覚だ。もちろん写真というものは1枚ずつ独立している方がデータとしては扱いやすいのだが、「こんな写真がありますよ」とパッと見せるときには、1枚の画面のなかに何枚も放りこんである方が見やすいものだ。そういうことをしようと思ったら、たとえばOpenOffice(MS Word)ではけっこう重たいデータを作らなければいけなくなるし、かなり処理も面倒臭い。そこで思い出したのがpassepartout。これならもともとがレイアウトソフトなのだから、画像の配置はお手のものだ。やってみたら、ものの数分で複数の写真を配置したPDF出力が得られた。passepartoutは、テキストの配置にはXMLを使わねばならず、タグ付けのようなかなり面倒なことをしなければならない。そんなハードルがあるためまだ試していないのだが、たぶん日本語フォントにも対応していない。だからレイアウトソフトとしては実用的とは言いがたいのだが、こんなふうに、ちょっと画像をまとめて配置するという用事なら、単純な構造だけに非常に便利だということがわかった。そこで思い付いたのだが、たとえば町の印刷所なんかでは、軽印刷のためにデータを面付けするのがけっこう面倒な作業になる。この作業、passepartoutを使えばかなり簡略にできるのではないだろうか。データとしては重くなるが、レイアウトしたデータを画像としてページごとに出力しておく。passepartoutではA0というかなり大きな用紙サイズまで対応しているので、ここにササッと貼りつければそれで面付けできてしまうのではないだろうか。道具は使い様だ。だが、使いかたを考えるには、それなりに使ってみなければならない。だから「これは使えないな」と思ったソフトも、ときどき引っ張り出していじってみるべきなんだろうな。
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2007年04月14日

Streamtunerの印象

前々回のエントリーでkstreamripperを取り上げたところ、u-bonさんにトラックバックでstreamtunerとTunapieというプログラムを教えていただいたので、早速synapticで見てみた。Tunapie(「ツナ」はイギリス人は「チューナ」と発音するらしいので、tunerとの語呂が合うのだろう)はリポジトリが違うらしく見つけられなかったがstreamtunerのほうはすぐに見つかった。さて、このstreamtunerだが、確かに無限とも思える程たくさんの局をブラウズできるので、わくわくしてしまう。現在お気に入りで聞いている局を見つけるのはけっこう苦労したのだが、これがあれば簡単に見つかったのかもしれないなと思う。日本語化もきっちりできているので、使いやすさは抜群だろう。ただ残念だったのは、「録音」ボタンを押すと、ターミナルが立ち上がってコマンド操作のstreamripperが走る点だ。このstreamripperは、コマンドラインから使うならいろいろオプションもあるのだが、「録音」を押すとそういったオプションは反映されず、デフォルト状態でリッピングがはじまってしまう。これは操作性がよくない。この点、kstreamripperは保存先フォルダの指定や録音時間の指定がGUIでできるからその分使いやすい。まあ、用途が全然違うソフトだから、比較するのはよくないかもしれない。録音するためのアプリケーションとしてstreamtunerでkstreamripperをstreamripperの代わりに指定する(設定メニューでできそうだ)のが、正しいやりかたかもしれない。streamtunerは、2年以上も開発が止まっているみたいだし、バージョンも0.99になっている。「改良の余地もあるけど、まあこれでいいか」という感じで永久β版になっているのではないだろうか。そういうありかたも、まああっていんだろうな。
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2007年04月13日

インターネットラジオは大丈夫なんだろうか?

UbuntuともMacintoshとも無関係な話題。ここのところインターネットラジオを聞いているのだが、気になるのが「本当にこんな嬉しいものがいつまでも続くのだろうか?」という疑問だ。というのは、どう考えてもインターネット放送は儲かっているように思えないからだ。あちこちと局を移るのが面倒なので私は3つぐらいの局しか聞かないし、ここしばらくはその中でも1つの局に合わせっぱなしなのだが、この局の放送には、普通のラジオと同じように広告が入る。インターネット放送の発信元には個人から企業までさまざまなものがあるが、どうもこの局はもともとのラジオ局がインターネットに進出してきたものらしく(あるいはそうではないかもしれないがいずれにせよプロフェッショナルで)、番組にそつがなく、よくできている。だから、FMラジオに広告が入るのと同じように、広告が入っても違和感はない。ところがこの広告、よく聞いてみると、なんとセカンドライフで一儲けしようというベンチャー企業のコマーシャルなのだ。最初は不動産屋のコマーシャルだと思っていたが、実際にはプールつきの豪邸も豪華なデコレーションでセキュリティ完備のマンションも、すべて仮想世界の話である。こういったセカンドライフ内の商売を、現実世界のラジオで広告しているわけだ。しかし、数百リンデン(現実通貨なら数千円か?)の商売をラジオで流したって、それほど儲かるとは思えない。それでもどんどん広告を流せるのは、インターネットラジオの広告料がそれほど高くないからなのだろう。いや、いまはそれでも構わないのかもしれない。インターネットラジオは、普通のラジオ放送に比べてかかる費用が圧倒的に小さい。ハード面では極端にいえばパソコンひとつあればそれで用が足りる。しかし、ソフト面ではそうはいかないだろう。番組制作にかかる人件費は、クォリティの高い番組をつくろうと思えば普通のラジオ番組と同様にかかるわけだし、音楽のような著作物を流せば著作権料も支払わねばならない。それでも、現在のところ、この著作権料はそれほど高額にはなっていないらしい。これは、もともと音楽業界がラジオ局のオンエアによってレコードのプロモーションをしてきたという事情からそうなっているのだろうが、少なくとも私が聞いている局の発信元である合衆国では、たいした金額を払わずに合法的に放送ができるらしい。ところが、私のように質のいいMP3を勝手にリッピングする不届き者が増えてきたせいか、インターネットラジオに関してはこの著作権料を大幅に引き上げようという動きがあるらしい。すなわち、インターネットラジオでの配信はiTunesのようなオンライン音楽販売と同じとみなして、販売に準じた扱いをしようということらしいのだ。こうなったら、とても現在のような「儲からないけど経費もかからないから構わないか」というような姿勢での放送は無理になる。最終的には、そういった高額の著作権料を支払うことができるビジネスモデルを立てることができたわずかな大手放送局と、もともとそういう著作権料を支払う必要のないインディペンデントのマイナーな局だけが残ることになるのだろう。そうなると、多様な音楽を好みに合わせて選択できるという現在のインターネットラジオの魅力は半減してしまう。これはまだ流動的な動きだし、ほんの些細な問題に過ぎないのかもしれないが、私はどうも、この底流にある近年の著作権強化の動きはおかしいのではないかという気がしてならない。私の仕事は出版物にかかわるので著作権にかなり関係が深いわけだし、音楽関係の友達も多いということから自分なりに著作権に関しては思うところもいろいろとある。そんななかで思うのは、著作権の強化が作者(アーティスト)のためにあるというのは真っ赤な嘘で、実はそういったアーティストをダシにして周辺で金儲けをしたいひとの都合でしかないのではないかということだ。過去の偉大な小説の多くは、著作権の保護なんかほとんどない時代に書かれたのだし、私の友人のミュージシャンは心から喜んでくれるひとのためなら無料でだって演奏する。芸術を生み出す行為と金儲けは、たとえ芸術によって生計を立てているひとにとってであっても、本質的には無関係なのだと思えてならない。それを、たまたま芸で食っているという経済的事実があることを盾に、著作権などという横暴な権利を強化していくというのはどうなんだろう。優れた才能をもったひとは、著作権の保護なんかなくたって立派に芸で身を立てていく。著作権の保護がなければ困るのは、キャラクターを売って商売しているような、本質的には芸とは無関係な商売人だけだと思うのだが、いかがなものだろうか。そして、そんな著作権への思いは、実はLinuxを支える「知は自由」という主張と重なるところがある。だが、そっちへの深入りは止めよう。私のような「タダ乗り」Linuxユーザーがあんまりそんなことを語るのはおこがましいことこの上ないのだから。
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2007年04月12日

無料でMP3 ─本当にいいのだろうか?

先週は、怒涛のように「xmmsとdilloの文字化け解消」→「管理者権限でフォルダを開く方法」→「パーティションのマウント」と展開したわけだが、その発端となった事情を書いていなかった。実は、インターネットラジオの録音ができるという話を聞いて、kstreamripperというプログラムをsynapticからインストールし、そのデフォルト再生プレーヤーがxmmsだったというのがそもそものスタートだったわけだ。そして、大量のMP3のファイルを保管するために使っていないパーティションをマウントする必要があった。だが、話を順番を追って始めた方がいいだろう。ラジオを「エアチェック」するというのは70年代のラジカセ文化のなかで育った世代にとっては実に自然な発想だ。MacOSXでインターネットラジオを聞き始めたときにもそんなことを思って、フリーのソフトをダウンロードして使ってみたことがあった。しかし、音声ファイルが巨大になることにびっくりして、使うのを止めてしまった。なによりも、不要な部分まで一気に録音したファイルをどうやって切り分ければいいのかわからなかったからだ。聞きたい曲も聞きたくない曲もごちゃごちゃのラジオ放送そのままでは、あんまり録音してとっておく意味も感じなかった。ところがLinuxのいくつかのソフトでは、曲ごとに切り分けて録音してくれるという。以前とはちがって、MP3プレーヤーも手に入りやすくなっている。そこで改めてsynapticで検索して「これかな?」と入れてみたのが先のkstreamripperだった。これはKDEのアプリケーションらしく、インストールするとstreamripperというファイルもいっしょにインストールされる。こっちだけでもいいのかもしれないが、詳細は不明。いったん使えるようになったら別にどうだっていいと思うのは、非IT系の私としてはしごく自然なことだ。ともかくも、このkstreamripper、きちんとstreamを記憶しておいてくれない(だからリッピングを中断してやり直すときにしょっちゅう局のURLを入れ直さなければいけない)と言うようなバグめいたものもあるが、優秀だ。ボタンを押しておくだけで勝手にインターネットラジオで流れてくる音楽を曲ごとに切り分けてファイルとして保存してくれるし、ラジオ局ごとにフォルダは作ってくれるし、ファイル名にはアーティストと曲名を入れてくれるし、申し分なしだ。ということで、使いはじめて1週間ぐらいで、もう数百曲のMP3ファイルがたまってしまった。曲の前後がきっちり切れていなくてちょっと別の曲の尻尾が入ったりするようだが、それは御愛嬌。私のようなレベルのリスナーには、音質も申し分ない。本当に無料でこんなことができていいんだろうか?実際、著作権との絡みで、これを規制しようという動きがあるらしい。そりゃあそうだろう。これじゃあCDは売れなくなる。現在の法律だと「個人的な楽しみのため」だけなら許されている行為だが、業界のひとにとっては無視できないのかもしれない。けれど、考えてみれば、CD(やレコード)なんて、買うひとはいくらでも買うし、買わないひとは何があったって買わない。私は若いころにはそこらの半端なDJなんか顔を赤らめて逃げ出すぐらい洋楽に詳しかったのだが、それはもっぱらFENを1日中聞くことから得た知識であって、レコードは借りこそすれ、1枚だって買わなかった。金のない音楽ファンは、金のないなりの楽しみを見つけ出すものだ。そして、金に余裕があれば、面倒なエアチェックなんか、たとえ無料でもしないだろう。だから、いくら規制しようが、あんまり最終的な音楽業界の売上げに影響はないだろうな。ともかくも、インターネットラジオとkstreamripperのおかげで、私にとっては懐かしいご機嫌な音楽ファイルが大量に私のHDに蓄積されつつある。けれど、ふと思う。このファイルたちを聞く機会はあるんだろうかと。なぜなら、わざわざ保存したファイルにアクセスしなくとも、ラジオをつけておけば常に好みの音楽が流れてくるんだから。ひょっとしたら、ハードディスクの容量を食うばかりで意味のない行為なのかもしれないなあ。
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2007年04月10日

Linux-Wordはどこへ行った?

「ちょっとしたことのできるテキストエディタ」もしくは「軽いワープロ」の探索をしつこくしつこく続けているのだが、ネットを検索していて、1990年代末から2000年代はじめごろまで、Linux-Wordという日本語ワープロが存在していたことを知った。これは、その業界では高名な方らしい三岩幸夫さんという方が開発されたものらしく、スクリーンショットなどをみると昔のMS-DOSで使っていた時代の一太郎っぽい仕上りになっている。こういう感じのものが案外と使い易かったりするからと思って情報をさがしてみたが、マニュアル以上の情報は見つけられなかった。おそらく途絶してしまったプロジェクトなのだろう。OpenOfficeが日本で実用的になってきたのがたぶん2004年前後だと思うから、そういった時間軸から考えれば、おそらく役目を果たしたとして終了されたのではないだろうか。開発者の個人のページも、あちこちに「Linux研究所」としてリンクが貼ってあったが、いずれもリンク切れで、現在は存在しないようである。どういう事情があったかは知らないが、以前の活動はストップされておられるようだ。Linuxでは、多くのプロジェクトが中断するが、オープンソースという性質上、有用なものは誰かが受け継いで発展させてくれる。そういった成果の上に私のような一般ユーザーがいるわけで、いってみれば成功例ばかり私はみることになる。けれど、その裏側にはこういった袋小路になってしまったプロジェクトもあるということなのだろう。なんとなく、厳粛な気持ちになってしまった。どこかでこのプロジェクトが再び花を開かせることを祈らずにいられない。
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2007年04月09日

Scribusの日本語入力 ─惜しい!

Scribusの日本語入力がQtなら通るという情報が気になったのでsynapticで検索をかけると、それらしいファイルがあったのでインストールした。scim-qtimmというプログラムで、説明を読んでもいまひとつよくわからないが、まあダメでもともととやってみたわけだ。結果、Scribus(1.3.3.4)のレイアウト画面ではやはり日本語入力は通らなかったが、「ストーリーエディタ」(あるいは編集メニューの「テキストを編集」)を開くと、scimが立ち上がっていて、問題なく日本語入力ができた。「これで日本語入力ができるぞ!」と喜んだのも束の間、このストーリーエディタがまだまだバグが多く(たぶん、だからUbuntuの推奨ではひとつ前のバージョンが安定バージョンということになっているんだろう)、レイアウト画面にいったん戻ると二度とストーリーエディタに復帰できないし、いろいろ使っていると、Scribusごと落ちてしまう。入力したテキストも、きちんと反映されたり反映されなかったり。これじゃあ使いものにならない。せっかくいい線までいっているのに、惜しい。やっぱり次のバージョンアップに期待するしかなさそうだ。当面は。
追記:qt3-qtconfigというのも見付けた。これは、「KDEを使わないユーザーにQt3アプリケーションの外見と動きを設定できるようにするもの」ということで、「漢字圏のユーザーはインストールした方がいい」ということなので、ひょっとしたらと期待して入れてみた。けれど結果は同じ。なかなかうまい話はない。
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2007年04月08日

Scribusについてのメモ

とりあえずはOpenOfficeで代用しているわけだが、やっぱりまともなDTPソフトは欲しいし、その最有力はやっぱりScribusだろう。現在は日本語環境がまだまだで使えないけれど、いちばん期待をかけているアプリケーションだ。それに関してすこし聞き齧ったので、メモ。・メニューの日本語化。こちらからダウンロードできる。
 気軽に管理者権限でファイルのコピーができるようになったので
 やってみた。十分使いやすくなった。
 こちらのほうが、情報としては正確か。・日本語入力は、Qtならできるらしい。QtといえばKDE。
 このあたりの詳細は不明。・「期待している」と言いながら、synapticで2種類のバージョンが
 インストール可能なことに気がつかなかった。ひとつは1.2.4.1で
 もうひとつは1.3.3.4。たぶん後者なら最初からメニューは日本語。
 ユーザーインターフェイスもずいぶんちがう。このぐらい進化する
 のなら、今後のアップグレードになお期待がもてるというものか。ともかくも、縦書、禁則、ルビ、このあたりがどうにかならないとなあ
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2007年04月06日

nautilusの活用

コマンドを打ち込みたくないというグチをこぼしていたら、One_Pointさんをはじめとしてあちこちから「スクリプトを書いたら?」という知恵を頂いた。けれど、(たぶんプログラムを書く人にはスクリプトなんて簡単なのだろうが)、私にはどうもこのスクリプトというものがよくわからない。MS WordやOpenOfficeについているマクロはスクリプトみたいなもんかもしれない。あるいはMacintoshのApple Scriptならば実際に「書く(scribe)」という行為がなくてもScriptができてしまうからまだ何とかなる。けれど、それ以上のことはとても素人には手が出せない。本格的なシェルスクリプトは論外としても、nautilusの場合、~/.gnome2/nautilus-scriptsというフォルダにスクリプトを放りこんでおけばいいそうなのだが、「簡単だ」といわれてもこれもやっぱり私にはできない。けれど、nautilusの場合、ランチャというものを作成することができて、簡単なプログラムならここに仕込むことができる。nautilusのデスクトップ上で右クリックをすると、「ランチャの生成」というメニューがあるからそれを選ぶ。ここにアプリケーションを入れておけばデスクトップにそのアプリケーションへのショートカットができるわけだが、プルダウンメニューから「端末内で動作するアプリケーション」を選び、「コマンド」欄にたびたび使うコマンドを書いておけば、デスクトップ上のアイコンをクリックするだけでそのコマンドが実行できる。たとえば、先のエントリで書いた別パーティションをマウントするコマンドを、ここに書く。「sudo mount /dev/hda5 /mnt/hda5」だ。これでOKにしてできたデスクトップ上のアイコンをダブルクリックすると、ターミナルが立ち上がって、パスワードの入力を求められる。パスワードを入れると、hda5がマウントされるという仕掛け。「端末内で実行」だから実際にはターミナルを立ち上げているわけだし、コマンドは前もってランチャを作るときに打ち込んでいるのだから、やっていることといえばターミナルでコマンドを打ち込むことと何ら変わらない。それでも、たしかにこれだと同じコマンドを何度も打ち直す必要はないから、1回だけ慎重にやればあとは安心だ。コマンドアレルギーには、多少は使える方法かもしれない。
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2007年04月05日

パーティションのマウント

ターミナルでコマンドを打ち込まなくてもroot権限でファイルが触れることがわかって、さっそくやってみたのがパーティションのマウントだ。これまで、極力GUIだけで使ってきて、それでもやむを得ずコマンドを打たなければならなかったのは、最終的に整理すると次の3つだった。・権限のないディレクトリのファイルの移動・変更。これが最大。
 この操作には、たとえばフォントのインストールや設定ファイ
 ルの変更が含まれる。
・内蔵ハードディスクの別パーティションのマウント。都合で、
 HDにパーティションが切ってあって、こちらは普段は使わない。
 そこにアクセスするためにコマンドが必要だった。
・synapticのエラーの修正。メモリが少ないせいでインストール
 中に固まってしまうことがまれにある(インストール中にほか
 作業をするというWindowsやMacintoshでは掟破りなことをする
 からいけないのだということはよくわかってはいるのだが)。
 インストール中に破損したファイルは、ターミナルからコマン
 ドを打たないと修復できない仕組みになっているらしい。これら3つのうち、最初のものはgksuで解決できた。となると、2番目のものをやってみたいと思うのは人情だ。いままでこれは、su mount /dev/hda5 /mnt/hda5というようなコマンドでマウントしていた。ちなみにこの前段階としてmntフォルダにhda5というフォルダをマウントポイントとして作っておくという作業もコマンドでおこなっていたわけだ。この作業は、もうコマンドなしでもできることがわかった。そうなると、あとはmountのコマンドだけが問題だ。しかし、GUIでこのコマンドを実行するプログラムは見付けられなかった。mountのコマンドを使わなくてもパーティションをマウントする方法はある。それはfstabというファイルを書き換えることだ。これは/etcにある。それを書き換えれば、起動時にパーティションを読み込むということはどこかで調べて知っていた。しかし、このファイルを書き換えるのもコマンドものだ。素人には結構ややこしそうなので、もしも失敗したときに、またコマンドで書き直すという作業がひどく面倒に思えた。もしも致命的な失敗をした場合、ちょっとしたディザスターが起こるような気もして、これまではためらわれていた。しかし、gksuで気軽に書き直しができるようになって、ちょっと心理的なハードルは下がった。実質的には変わらないのだが、失敗したときの書き直しにちょっと自信ができたわけだ。そこで、fstabをいじってみることにした。fstabのHelpは簡単に見付かるのだが、素人には結構わけのわからない文章である。よくわからないままいろいろ試してみて、結局追加したのはこの1行。/dev/hda5/mnt/hda5ext3user02最初の/dev/hda5は、もっと正確な指定方法があるらしいのだが、それをするにはBiosまで戻らなければならないみたいだし、私にはまったく意味不明の数字の羅列なので、やめておいた。2番目のマウントポイントはこれまでコマンドで打ち込んでいたもの。フォーマットのext3はgpartedで確認できた。その次のuserは、最初は「user,noauto」としていたが、これはcdのマウントを指定した行をそのままコピーしたもの。しかしこうすると初期状態ではマウントされず、wmmountのようなツールが必要になる。これは面倒なので、noautoを削除した。その次の0は私には意味不明。最後の2も、意味はわからない。0、1、2の3つの値が可能で、たまたま2にしたらうまくいったという程度のこと。ともかく、fstabにこの1行を加えて保存し、システムを再起動すると、ちゃんと/mnt/hda5を開けばこのパーティションにアクセスできた。設定ファイルは書き換えなければならないけれど、これでマウントにもコマンド不要なことが確認できた。設定ファイルを書き換えるのとコマンドを入力するのと、どっちが怖いといえばどっちもどっちなのだが、設定ファイルの場合、一度作ってしまえば二度と触る必要はないし、ダメならファイルを元に戻すか削除すればなんとかなるという安心感がある。バックアップをとっておくこともできる。あくまで心理的なことだけなのだが、私にとってはまだ設定ファイルをいじる方が気楽である。本心でいえば、こういうところまでGUIで面倒をみてくれればいちばん嬉しいのだけれど。贅沢かなあ。
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2007年04月04日

コマンドはもう要らない? ─その2

管理者権限でnautilusでフォルダを開く方法をnuit404さんに教えてもらったと前回のエントリでかいたが、nuit404さんのコメントに続いて、80286さんから別の方法を教えてもらった。 > 因みに、ノーチラスは
 > 「gksu "nautilus --no-desktop --browser"」
 > ("は必要です)
 > 上記をメニューやランチャに追加したり「アプリケーションの実行」で起動させれば良いと思います。早速、現在使っているウィンドウマネジャーのJWMの設定ファイル(.jwmrc)のプログラムとしてこれを追加してJWMを再起動、あらわれたメニュー(「管理者権限でフォルダを開く」と名前をつけた)を選択すると、おやおや、nautilus-gksuで開いたときとまったく同じことになる。ひょっとしたらこの方法の方がスマートかもしれない。ちなみに、synapticで見たら、gksuというプログラムは既にインストールされていた。基本パッケージの一部らしい。そんなことを思いながらJWMの設定ファイルを見ていたら、なんとまあ、自分でカスタマイズしたこの設定ファイルに、ちゃんとgksuを使っている部分がある。それは、synapticやネットワーク管理を開くために入れておいた部分だ。  <Program label="Synaptic">gksu /usr/sbin/synaptic</Program>
  <Program label="ネットワークの管理">gksu network-admin</Program>これを見て、ようやく気がついた。Gnomeで、設定メニューのシステム管理に入っているプログラムを起動すると、パスワードを聞くダイアログになる。これが実はgksuなのではないか。プログラムを管理者権限で実行するということは、そのプログラムをgksuから立ち上げるということなのではないか。そこで早速.jwmrcに  <Program label="gparted">gksu gparted</Program>の一行を加えてみた。以前、JWMからパーティションエディタを起動してやろうと思ったとき、管理者権限がないからと拒否された。これはgpartedを直接起動しようとしたからで、これをgksuから起動すれば通るのではないか。JWMを再起動してやってやると、ビンゴ! パスワードを聞かれた後でgpartedが起動した。なお、80286さんによれば「""は必要」とのことだったが、JWMの設定ファイルに限っていえば「gksu nautilus」だけで同じ効果が得られた。このあたりは、実際のところよくわからない。まとめてみると、結局のところ、nautilus-gksuをインストールする必要さえなく、管理者権限が必要な処理は基本的にgksuに続けてアプリケーションを立ち上げればいいということだ。そのためにはコマンドを打たねばならないが、80286さんに教えていただいたようにこれをメニューやランチャーに仕込んでおけば、その必要はない。結局のところ、私のような一般ユーザーが日常作業で必要となることにはコマンドは一切不要という結論になった。これは本当に嬉しい。発端となったのは「コマンドを打つのが怖い」というグチだが、グチはこぼしてみるもの。いや、それよりも、多くの人のサポートのおかげだ。実にありがたい。
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2007年04月03日

コマンドはもう要らない?

前回のエントリーで、管理者権限がないと触れないディレクトリにファイルを移動するのにコマンドを打たねばならない恐怖をグチったら、nuit404さんからコメントで「メニューのどこかに「管理者権限でフォルダを開く」みたいなのがある」と教えていただいた。いままでそういうのを探していたのでこれは嬉しいとあちこち見たが、やっぱりない。KDEではそういうものがあると聞いていたからその間違いなのだろうかとも思ったが、nuit404さんはnautilusと明記されていらっしゃるし、よくわからないので検索してみた。すると、「一般ユーザーがroot権限でnautilusを起動する」という解説があるのをみつけた。これによると、コマンドでsudo nautilusと打ち込めば、フォルダを管理者権限で開くことができる。やってみると、確かにこれまで触ることができなかったディレクトリにフォルダを新設したりファイルをコピーしたりできる。これはいい。しかし、またもコマンドの世界だ。やれやれ。しかし、nuit404さんはGUIでできるように書いている。ひょっとしたらこれはnautilusの機能拡張かなんかかもしれないと思い付いてsynapticで検索をかけたら、ありました! nautilus-gksuというのがそれ。これをインストールすると、フォルダやファイルを右クリックしたときに「Open as administrator」というメニューがいちばん下にあらわれる。ここにいってやると、パスワードを聞かれ、そしてコマンドでsudo nautilusとやったときと同じことになる。ファイルのコピーも移動も思いのまま。これまで、数少ないコマンドを避けられない場面のほとんどは、権限のないディレクトリへのファイルのコピーだった。だから、これは嬉しい。これで堂々と、「Linux使うのにコマンドは要らない」と主張することができる。まあ、あんまりこのOpen as administratorをやりすぎると怪我をするだろうと思うけれど。
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