2006年07月31日

さらに寝起きはよくなった

Ubuntuでは、Alacarteメニューエディタというアプリケーションでメニューバーの項目をカスタマイズできる。このアプリケーションを起動すると、普段は使わないアプリケーションが存在するのがわかる。たいていは一般ユーザーにとって不要なものだ。不要なアプリケーションはメニューバーのメニューから隠しておいた方が合理的だろう。この隠れているアプリケーションのなかに、システムツールの「設定エディタ」というものがあるのに気がついた。どういうものかなと思って起動してみると、隠しファイルになっている数多くの設定ファイルをいじることができるものらしい。マニアっぽいサイトでは設定ファイルはターミナルを起動してカスタマイズするようになっているが、こういうのは素人にはとてもできない。この「設定エディタ」も決して素人向きには思えないが、それでも多少は理解しやすいユーザーインターフェースである。これを使って「電源の管理」の設定を変えたら、これまでできなかったスリープ(サスペンド)からの復帰のパスワード入力画面の省略をおこなうことができた。私のパソコンは私しか触らないのだし、仮にスリープからの復帰でロックをかけても起動時のロックを外してあるので、再起動されれば第三者に簡単に見られる設定だ。スリープの復帰にパスワードの入力を求める意味は私のパソコンについてはほとんどないので、これを外すのは嬉しいカスタマイズになる。早速スリープさせて復帰してみると、パスワード入力画面に進まない分、ずっと復帰にかかる時間が短くなった。寝起きがいいのは何よりだ。これでまた、少しはストレスが減少するかな。
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2006年07月30日

DOC互換のOpenOffice

Ubuntuに変えようと思ったことのひとつの理由は、それがネイティブでOpenOfficeを走らせることができるからである。Macの場合、NeoOfficeとよばれるOpeOfficeの亜種があるが、これはJava環境で動くため、かなりメモリに負担をかける。私の古いハードウェアでは這いずるように遅かった。それがUbuntuなら十分に早いだろうと見当をつけていたし、実際に早いから助かっている。もちろんワープロや表計算をするのに何もNeoOfficeを使わなければならない理由はない。Macには(古い時代の機種には)標準でAppleWorks(さらに古くはクラリスワークス)が付属していたし、これはけっこうユーザーフレンドリーで使い勝手のよいソフトであった(なぜかバージョンが上がるごとに使いにくくなってしまったのだが)。こういった代替品がある以上、NeoOffice(つまりOpenOffice)は不要のはずである。しかし、世の中には私以外のパソコンユーザーがいて、勝手にデータを送ってくる。その多くはMicrosoftが勝手に定めた仕様をスタンダードと勘違いしている。だから、WordのDocファイルやExcel、PPTのファイルが読めなければ仕事にならないのである。OpenOfficeはこういったMicrosoft仕様といまのところもっとも互換性がいいので、「誰がビル・ゲイツになんか金を払ってやるか」と思っている人間にとっては欠かせないソリューションなのである。いや、実際にはOpenOfficeだけがDocファイルを読めるアプリケーションではない。Adobeをはじめとする多くのレイアウトソフトはDocを読み込むことができる。MacでもOS10.3以降は不完全ながらDocファイルを読み書きできる。そのほか、Win版であればいくつかのDoc形式対応のソフトがある。たとえばLotusなんかもかなり互換性はいい。有料ではあるけれど。Macで動くフリーのソフトでは、NeoOfficeのほかにはAbiWordがある。Javaを使わない分だけスムーズに動くので、これを使って仕事をしようとしていたときもあった。しかし、少なくとも私のOS10.2の環境では、日本語入力に難があって使えなかった。入力中にバグと思われる入力ミスが多発するのである。Ubuntuにして例のsynapticを見ていたら、やっぱりAbiWordがある。もともとLinuxのソフトをMacに移植したものだから、こっちが本家なのだ。早速インストールしてみたら、やっぱりMac版よりも動きがいい。けっこう使えるかもしれないと期待した。だが、やっぱり日本語入力がうまくいかない。こっちのほうではバグと思われるものは起きないのだが、インライン入力ができない。はるか昔のワープロに戻ったみたいだが、懐かしんでばかりいてもしかたない。いまどきインライン入力ができなければ、実用的とは言いがたい。なにか工夫があるのかもしれないが、素人がいじれる設定にはその解法は見つけられなかった。まあ、OpenOfficeが動くので無理に使う必要はないのだけれど。
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2006年07月29日

MacBookでUbuntu?

現在使っているiBookの遅さに我慢ができなくなってきたのは昨年暮れ頃で、そのころからもう、私はまだスペックさえ噂にのぼっていなかったMacBook(そのころはまだそういう名称になるともわからなかったが、つまりはiBookのIntel版後継機)の登場を待ち望んでいた。3月頃からは毎日のようにニュースサイトを検索しては、発売をいまかいまかと待ち望んだ。いろんな噂が飛び交ったが、ようやく発売されて、あとは財布と相談しながら決断するだけというところまできていた。しかし、財布はうんといってくれないし、Appleの常として最初のうちはトラブルが多いのは見えているしで、Ubuntuに逃げ込んだ。とりあえずこの逃避は成功だったようだが、さて、それではこの先、財布がいい顔をしてくれたらMacBookを買うのかどうかということになる。実は、買うかどうかという判断にさらに複雑な要素が加わっている。MacBookを買ったあと、OSをどうするのかということである。Intel Macは、BootCampを使ってWinXPをインストール可能である。BootCampではXP以外のOSはインストールできないが、裏技でXPをインストール後にXP機にLinuxをインストールする手順でさらに別のOSをインストールできるとも聞く。Boot Camp以外にもエミュレーター風にMac上で他のOSを起動するソフトも販売されている。
となると、UbuntuをMacBookで走らせることも可能である。実際、MacとUbuntuで検索をかけたら、私のように古いMacをUbuntuで再生させるという話はほとんど出てこずに、最新のMacBookでAT版のUbuntuを走らせてみたという体験談ばかり出てくる。私はこれで1ヶ月Ubuntuを使ったわけだし、たぶんこれからも何ヶ月かは使っていく。そのとき、Ubuntuを使いつづけたいという気持ちが出ないだろうか。MacとUbuntuを併用していく可能性はないのだろうか。あるいは、ハードウェアだけ最新のIntel Macで中身はUbuntuという選択をするのではないだろうか。答えはおそらく否である。IT技術者でもない私は、複数のOSを併用する利点がほとんどない。そしてMacかUbuntuかという選択を迫られたら、もしそれが十分に早いのであればMacを選択するだろう。やはりMacには他のOSにない魅力があるのだから。ただし、もうひとつだけ別の可能性が浮かんできたのは事実である。それは、Macに別れをつげて、AT機を購入し、そこにUbuntuを入れて使うという可能性だ。財布の事情だけなら、こっちのほうが可能性が高い。たぶんMacBookを買うよりもずっと少ない金額で現在よりも相当のアップグレードができるだろうから。
私の心情は、Macを捨てるのに否定的である。しかし、諸事情のなかでどうなるか、もう少し時間がたたなければわからない。まあ、少なくともMacBookでUbuntuという可能性だけはないと思う。
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見慣れないアプリケーション

Ubuntuには、FirefoxやOpenOfficeといったMacやWinでもおなじみのアプリケーションがデフォルトで搭載されている。しかし、なかには初めて耳にするアプリケーションもあった。
メーラーとしてはEvolutionというものが搭載されていたが、こんなソフトは聞いたことがなかった。開いてみると、案外とユーザーインターフェースはいい。Ubuntuをインストールした直後に少し触ってみた。使い勝手は悪くないようだ。単なるメーラーではなく、WinのOutlookのようにスケジュール管理や住所録、メモやタスクなどを一括して扱うことができる。妻は一時はThunderbirdを使っていたのにしばらくしてOutlookに戻したのは、このスケジュール管理を利用したいがためだった。Outlookの扱いにくさをこぼしながら、ずっとそれを使っている。これならEvolutionの方がいいかもしれない。フリーでよくここまでできるもんだ。ただ、このEvolutionは、結局使わないことにした。Macから移動する古いデータがThunderbirdのものだったということもあるが、それはたぶん、たいしたことではないだろう。NetScapeのデータはインポートできるようだから、たぶん工夫すればThunderbirdのデータだって大丈夫だ。使わなかった理由は、非常につまらないものである。Evolutionでは送信ボタンと受信ボタンが分かれておらず、「送受信」となっている。はるか昔のEudoraユーザーであった私は、これが嫌だ。送信は送信、受信は受信で別々に操作したいと思っている。実に些細なユーザーインターフェースであるが、最終的にこれが決め手になってThunderbirdをインストールすることにした。ちょっと使ってみたい気持ちはあったのだが、とりあえずさよならEvolutionである。
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2006年07月27日

古いMacintosh

Intel Macの登場で私のiBookをはじめとするG3、G4、G5のPowerPC搭載のMacintoshは旧世代の機種となってしまったわけだが、私はG3以前の世代のPowerPC、さらにその前のモトローラの68KからのMac信者である。いまでは見る影もなく時代遅れのこれらの機械であるが、当時はそれで十分に仕事ができた。実際、68kの機種であるLC475はインターネットの初期にかなり長く愛用した。メーリングリストやメールマガジンのために膨大な文字を打ち込んだが、特にストレスを感じることもなかった。それをPowerPCのPM4400にアップグレードしたときは(世間では既にiMacすら陳腐化した時代だったにもかかわらず)、ずいぶんと早くなった気がした。しかし、それも3年前には限界を感じるようになり、最終的に使用を断念した。使っていた機械も上記のように相当な古いものだが、それ以上に私のパソコン環境を時代めいたものに見せていたのは、モニタである。15インチの縦型白黒モニタ、といって実物をイメージできる人はいまでもいるのだろうか。ふつうの15インチブラウン管なのだが、これを縦長に置いている。昔、印刷業界ではこのタイプがかなり使われた。ちょうどA4の用紙を実寸で置いた大きさに相当するから、ページ単位でレイアウトをつけていくときに作業効率が非常によかったからだ。これはテキストを書くときにも同じことがいえて、1ページをまるまる目にしながら書き綴っていくというのは非常にやりやすい。そこで、世の中がフルカラーになってからも手放せずに愛用してきた。事情さえ許せば、いまでも使いたいぐらいである。グレースケールで見る世界は、目が疲れなくて非常に心地よいのだし。残念なのは、このモニタがApple仕様であるため、相当に古いタイプのMacintosh以外では使えないことだ。以前使っていたPM4400はCPUのクロック数が200MHzだが、このあたりのクラスが最後だろう。ちなみに、このクラスの機械には、Ubuntuは通常の手段ではインストールできない。特殊な方法が必要なようだが、それはマニア向けだろう。だからこの縦型モニタは、泣く泣くお蔵入りになっている。骨董品としておいて置いてもいいのだが、だれか有効に使ってくれる人がいれば譲りたい。コメントで連絡いただければ、委細相談ですぐに送りますよ。
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2006年07月26日

FTPには恐れ入りました

私の仕事は、実に雑多な業務を含んでいる。基本的には文字を書くのが仕事だからテキストエディタひとつあれば事足りる。しかし、ときには書いた文字をレイアウトしなければならないからレイアウトソフトが必要になる。インターネットの時代にブラウザとメーラーは必須だし、Webページのメンテナンスのための道具も必要になる。ときにはデザイナーの真似ごとをして画像をいじったりドローイング系のソフトでepsデータを作らなければならないこともある。いまどきはPDFでデータをあげるのも常識だし、その他各種のユーティリティーは数えきれないほど必要になる。とはいいながら、こういった雑多な仕事には波がある。たとえば去年の秋にはWebページを一気に更新するため、HTMLばかりいじっていた。年末には印刷デザイン系の仕事がやたらとつまって、MacでIllustratorをしょっちゅう使っていた。年明けにはDTP系の仕事が多く、InDesignを毎日のように立ち上げた。ところがここ数ヵ月は、こういったアプリケーションはほとんど使っていない。基本的にはメーラーとブラウザ、テキストエディタとPDFビュアーばかり使っている。しかし、Webページの更新をあまりサボってばかりいるわけにもいかない。そろそろ更新の時期かなと思って、まずFTPクライアントを探してみた。MacでもWinでも、サイトのアップにはFTPというのが常識だと思っていたからだ。ところが、Ubuntuに積んであるアプリケーションをざっと探してみても、FTPクライアントはない。こんな基本的なものがないのはおかしいと思ったが、まあもともとがCD1枚からインストールしたものだからしかたないかと思い、新たにインストールするつもりで例によってsynapticを立ち上げてFTPで検索してみた。しかし、案に相違して、FTPクライアントはない。MacでもWinでも山ほどフリーのFTPクライアントはあるのに、Ubuntuではあまり見当たらない。いや、あることはある。その名もずばりFTPというアプリケーションがある。ところがこれは、既にインストールされていると表示されている。それではとこのアプリケーションを立ち上げようとするが、素人にはどうすればいいのかわからない。GUIにはあがってきていないのだから。弱ったなと思っていたら、メニューバーの「場所」のプルダウンに「サーバーへ接続」というメニューがあるのに気がついた。これはMacにもあるメニューだが、LAN環境以外で使ったことはない。しかし、あまり期待せずにこのメニューに行ってみたら、FTPサーバーへの接続というのがある。
ひょっとしたらと思ってここに自分のサイトのFTPサーバーとユーザー名を入れてみたら、何のことはない、あっさりと接続した。おまけに、いままでMacで使っていたFTPクライアントよりもはるかに使いやすい。自分のパソコンのデスクトップのファイルをいじるような感覚で、サーバー上のファイルを触ることができる。これは素晴らしい。Macだったら、こういうことをするためには有料のソフトをインストールしなければならなかったはずだ。いや、ひょっとしたらMacでも「サーバーに接続」で接続できたんだろうか。知らなかっただけなのかどうか、いまとなっては確認のしようもない。ともかくも、この使いやすさには恐れ入った。さすがネットワーク型コンピュータの元祖であるUnix直系のLinuxである。悪口ばかりいっていては罰があたるかもしれない。
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Linuxなんて知らない

UbuntuはLinuxのディストリビューションのひとつだから、私はLinuxユーザーということになる。もうまるまる1ヶ月もUbuntu以外のOSを(データ移転のためをのぞいて)まったく使っていないし、内蔵のハードディスクにはUbuntu以外のOSは入っていない。100%のLinuxユーザーである。けれど私にはLinuxユーザーであるという意識はない。Ubuntuのユーザーだという意識はあるが、それがLinuxだという意識はない。それはそうだろう。いまではMacもWinもベースになっているのはUnixである。しかし、誰も自分のことをUnixユーザーだとは思わない。かつてパソコンがオフィスに普及しはじめた時代、「パソコンはどこにありますか?」という質問に対して、たいていの人はパソコン本体ではなくモニタを指さしたそうである。人は、自分が直接見るものをより強く認識する。現代のパソコンユーザーが認識するのは、深いところではたらくOSではなく、GUIのベースとなるデスクトップ環境である。MacユーザーもWinユーザーも、特に専門家ではない普通のレベルでは、たいていはMacやWinのちがいをデスクトップ環境を主体とするユーザーインターフェースのちがいとしてとらえている。決してファイルシステムやデータ構造のちがいとしてはとらえていない。一般ピープルにとってOSのちがいとはその程度のものなのである。だから私も、私の使っているのがLinuxだとかGnomeだとかいわれてもてんでピンとこない。カーネルのバージョンなんてわけのわからないことは聞かないでほしい。私はただ、MacからUbuntuに乗り換えて、とりあえずなんとか仕事ができている。乗り換えてよかったと思うところも困ったと思うところもありながら、まあまあ何とかなっている。だから、オタクっぽいLinuxの話はごめんだ。知らなくても困りはしないから。
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2006年07月25日

プリンタの痛し痒し

Macユーザーが疎外感を味わうのは、プリンタをはじめとする周辺機器の対応OSにMacintoshが入っていないときだろう。メーカーが単純にドライバだけコンパイルしてくれればすむ話だと思うのだが、けっこうMac非対応の機種はある。自分で買うのであれば最初から注意するが、たまたま仕事場の環境にそういうプリンタがあったりもらったプリンタが対応していないとがっかりしてしまう。MacもOSXならGhostScriptという奥の手があって、非対応のプリンタでもどうにかなる場合が少なくない。ただ、このGhostScriptだが、インストールが私のような素人には難しく、一度は成功、一度は失敗した。この時代、パソコンユーザーというものの大部分はパソコン専門家でない人間であるわけだから、こういう奥の手を使わなければいけないというのは実際辛いものがある。Ubuntuの場合、もともとメーカー供給のドライバはおそらく存在しないのだろうが、誰かがちゃんとプログラムを書いていてくれて、市場に出回っているだいたいのプリンタは、接続するだけでドライバを検出してくれて、いわゆるプラグ&プレイで使えるようになる。最初、Macで使っていたインクジェットがこれで何の不具合もなく動いたときには感動した。もののついでと、Mac非対応のプリンタも試してみた。キャノン製のこのプリンタは、妻が仕事の都合で買ったものだが、私は借りたくても借りれないという悔しい思いをしてきた。なにしろ新しいから印字がきれいなのだ。ほんとに悔しい。Ubuntuを接続して、さて、どうなるかとやってみたら、反応がある。プリンタが動く。やった。MacにできないことがUbuntuならできた! と、喜んだのも束の間、よくよく見ると、画面がほぼ4分の1に縮小されている。これでは読むのに虫眼鏡ものだ。いろいろ試してみたが、この縮小されるというバグは、設定をいじるぐらいでは治らない。結局、使えたような使えないような、痛し痒しの結果となった。やっぱり、Linuxに完全を求めるべきではないのだろうか。完全でなくてもいい。使えればいい。さて、虫眼鏡もののプリントは、使えるうちにはいるのだろうか。
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Firefoxは順調

Ubuntuのフォーラムに、「Ubuntuのいちばん嫌いなところを語りましょう」というスレッドがあった。Ubuntuユーザーが不満を述べることでよりよいOSの開発の参考に繋げましょうという趣旨なのだが、私のような素人が見てもまるでピンとこないようなことが書いてある。Linxの開発者ならうなづけるようなことなのかもしれないが、表面上の利益を享受するだけの一般ユーザーには、「で、それのどこが嫌いなの?」という感想しか出てこない。私の場合、Ubuntuの好きなところ、嫌いなところはいろいろあるが、細かいことを抜きにすると、Ubuntuのいちばん好きなところは「Windowsではないこと」である。Windowsを使うのは、はっきりいって怖い。ウィルスやマルウェアの標的となるのがわかっているからだ。システムに対する信頼性もいまひとつだし、使っているうちに意味不明のゴミが溜ってきてハードディスクが重くなる。ディスククリーンアップなんてしても、このゴミはとれないのだから厄介だ。
一方、Ubuntuのいちばん嫌いなところは「Macではないこと」だろう。Macの使いやすいさや気の利いたデザイン、コンセプトは、Macならではだ。それにやっぱり仕事の上で印刷業界標準のMacを使う意味は大きい。フォントやフォーマット、搭載アプリケーションの互換性ということからいえば、Ubuntuで仕事をするのはやっぱりハンデになる。しかし、こんなふうにMacだWinだ、いやLinuxのUbuntuだなどということは、遠からずどうでもいいことになるのかもしれない。MacでWinが走る時代だし、そのうちWinでもMacが走るようになるだろう。Javaを使ったプラットフォームに依存しないアプリケーションも以前からあるし、素人には理解できない「仮想化技術」とやらでプラットフォームへの依存性はますます減少していると聞く。プラットフォームに依存しながらも、開発コードを共有することで高い互換性を実現しているアプリケーションも少なくない。オープンソースのMozilaやOpenOfficeは、Mac、Win、Linuxどの環境で使っても、ほとんどユーザーインターフェースは変わらない。プラットフォームの存在を意識せずにすむ。たとえば、ブラウザの第二標準としての地位を固めたFirefoxは、正式版の発表以来ずっとMacで愛用してきたが、妻のWindows機で使ってもUbuntuで使っても使い勝手はまったく同じである。面白いのは、多数発表されている機能拡張がプラットフォームにまったく依存しないことだ。Firefoxさえ走っていればMacだろうがWinだろうが機能する。これはありがたい。さらに、Macで使っていたブックマークやツールバーも、データを適当なフォルダに放りこんでやるだけで完全に移植できた。これは仕事の継続性からいって非常にありがたい。残念なのは、プラグインに関してはプラットフォームに依存してアプリケーションがない場合があることだ。だからあいかわらずFlashは見えないし(古いMacromediaの規格に則ったFlashなら見えることがその後わかったのではあるが)、QuickTimeやRealPlayerの代替もいまひとつだ。けれど、それ以外のことはだいたい同じ、ほとんどプラットフォームを意識せずに使える。10年もすればきっと、「昔はMacだWinだなんて言ってたよなあ」と思う日がくるのだろう。そんな日までパソコンというものが存在すればだけれど。
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2006年07月24日

ハードウェアの限界

Ubuntuを試してみようと考えたきっかけは、もともとMacのiBookのハードウェアが時代的に限界に達してきたからである。最近の重いWebページの表示には時間がかかるし、新しいバージョンのアプリケーションを入れると這いずるように重くなる。いまどきパソコンを使うのは、自分だけの都合ではいかないのである。Ubuntuに変えて、OSがハードウェアにかける負荷が減ったのか、動きはかなり軽快だ。けれど、やっぱり限界はある。
妻といっしょにWebの検索をしていると、明らかに妻のほうがページの表示がスムーズである。妻は安物のDellであるが、安物とはいえ1年前の機種なので、それなりに早いCPUを積んでいる。決してWindowsが優れているとは思わないが、妻のパソコンの方が何かにつけ早いのは事実である。先日も、録音してきたWAVファイルをUbuntuで再生していたら、音が飛んで聞きにくいことこの上ない。これはどう考えてもメモリが不足しているに違いない。見掛けは滑らかに動いていてもやっぱり見えないところではかなりの負荷がかかっている。当面はOSを変えることでなんとかしのぐことができたけれど、やっぱりハードウェアがどうしようもないとなれば、最終的にMacBookへとアップグレードということになるんだろうか。早く貯金をしなくちゃねえ。
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Ubuntuを忘れる瞬間

パソコンが仕事から欠かせなくなってもうずいぶんになる。ワープロ専用機を初めて入れたのは1984年のことだが、パソコンということになると1991年にPC98で一心不乱に原稿を書いていた夏が最初である。そこからでも15年になるわけだ。
けれど、私の仕事は決してパソコン関係ではない。道具としてパソコンは使うが、パソコンの中身のことまでは興味がない。パソコンがなければ仕事にならないのは時代がそういうふうになっているからで、世の中からパソコンがなくなれば、なくなったなりに同じ仕事をしていけるだろう。だから、パソコンを使って仕事をしていながら、順調に回っているときにはパソコンを意識することはない。原稿を書いているときには、「原稿を書いている」という意識はあっても、「パソコンを使っている」という意識はない。だからなおのこと、OSを意識することはない。Macで順調に仕事が捗っていたときには、Macを使っているという意識などなかった。目の前にパソコンの画面があっても、見ているのは自分の打ち込んだ文字であり、パソコンではなかった。Windowsをしばらく使っていたときには、逆にOSの存在をいつも意識していた。Macユーザーとして、慣れないインターフェースに戸惑い、その戸惑いが余分な意識になった。使いたいアプリケーションが手元にないことやデータのつくりかたの発想がまったくちがうことなど、ぶつかるたびにOSというものの存在を強く意識した。Macに戻ってからも、ときとしてOSに対する意識が浮かびあがることがあった。少し前ならなんのストレスも感じなかったはずのハードウェアが、時代の流れの中でもたつくようになってしまっていたからだ。「ああ、なんでこんなにまだるっこしいんだろう」と思うたびに、パソコンやOSの存在を意識した。Ubuntuになってからは、当然ながら毎日OSの存在を意識している。ちょうどWindowsを使っているときにユーザーインターフェースのちがいからOSに意識がいくように、時代遅れになったMacを使っているときに走らないアプリケーションにいらいらするように、Ubuntuでも不調さからOSの存在を意識することが多い。そしてこのブログは、そんな意識の中で書き綴っている。けれど、最近、ときどきOSの存在を忘れている。原稿を書きながら、原稿にすっかり没頭していて、自分がどんな機械を使っているのかを忘れてしまう。これはきっと、それなりにUbuntuが滑らかに走っているからなのだ。ということは、このOSの転換は成功なのだろう。それなりに。
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2006年07月20日

ちょっとした嬉しさ

Ubuntuに限らずLinux一般がそうなのかもしれないが、MacやWinに比べると細かな設定ができる。もちろんMacやWinでも根っ子はUnix系だからターミナルに入ってレジストリをいじるようなことをすればいくらでもカスタマイズはできるのかもしれないが、そんなことを素人の私がやろうとは思わない。私がいじるのは、GUI画面の初期設定やシステム管理で触れる範囲だけである。それでも、ときに「おや、こんなこともできるのか」という設定ができて嬉しくなる。たとえば、画面の輝度をデフォルトで設定しておくことができる。輝度はもちろんそのつど細かな調整ができるのだが、設定をなにもしないときのでフォルトを決めておけるのだ。これは最初、別に便利だともなんとも思わなかったのだが、AC電源を使っているときとバッテリを使っているときで別々のデフォルトに設定して、初めてそのご利益がわかった。
この古いiBookはその後の機種(ましてグロッシーなMacBook)に比べて、画面が暗くてみづらい。そこで普段AC電源で使っているときには最大輝度にしている。けれど、モバイルなどでバッテリを使うときには、できるだけ長時間もたせたいから画面の輝度を落とす。ぎりぎりまで落とせば、3時間ぐらいもつ。MacOSを使っていたときには、この切替えをいちいちF1とF2のキーを押すことでやっていた。けれどUbuntuなら、電源を自動的に感知して自動的に画面の輝度を調整してくれる。もちろんバッテリで使っているときでも明るくしたいときはあるから、それは調整すればいい。そんな自由度は、しっかり確保された上でのデフォルトである。それほど目立たない設定だが、ちょっと嬉しくなる。そういえば、メニューバーのバッテリ表示も最初は愛想がないと思っていたけれど、カーソルをもっていくとちゃんと残量と推定残り時間を表示してくれるから慣れればこっちの方がMacよりもいいかもしれない。けっこう痒いところに手が届くUbuntuである。
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寝起きは悪くない

Ubuntuを使っていると、妻が「この子は寝起きはいいの?」と聞いてきた。スリープ(サスペンド)から復帰したときに、すぐに使えるかということだ。
妻のWinは寝起きがいまひとつよくない。スリープからの復帰に時間がかかるようだ。Macの方はスリープを解除すると(ノートパソコンの蓋を開けると)すぐに画面が表示され、ある程度の操作はできた。目が覚めるのは早いわけだ。ところが操作してもレスポンスが非常に遅い。10秒くらいはネットもつながらない。寝ぼけた状態がしばらく続くのである。やっぱり寝起きがいいとはいえない。Ubuntuの場合、スリープ(サスペンド)からの復帰には、パスワード入力が必要になる。起動時のパスワード入力は設定で省略できるようになったのだが、スリープ解除には必須のようだ。このパスワード画面が表示されるまでには多少の時間はかかる。けれど、パスワードを入れてからの反応は早い。どのアプリケーションもすぐに応答するし、ネットの接続も復帰直後から生きている。スリープから使えるようになるまでの時間はMacとUbuntuであまり変わらないのかもしれないが、寝ぼけた状態がないぶんだけ、Ubuntuの方がすっきりしているかな。いまだにサスペンドはバグっぽいけど、ここのところ使っていて不自由を感じるほどのバグは起きていないし。
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2006年07月19日

時計が遅れる

なぜかUbuntuにしてからデスクトップに表示される時計が遅れるようになった。もともとMacで使っていたときも遅れることは遅れたが、これほど甚だしくはなかった。1日に3分ほども遅れる。
「システム管理」の「時刻と日付の設定」には、インターネットで時計を同期するという設定がある。これで時刻をあわせると、ぴったりと合う。しかし、ほんの数時間でも使っていると、遅れてしまう。
この設定画面には、「定期的に時刻を同期する」というオプションがある。このオプションにしていれば自動で時計を合わせてくれるはずなのだが、そうはいかない。なぜか遅れる。必ず遅れる。理由はわからないが、ちょっといやな癖だなあ。
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ぼろぼろのiBook

私のiBookは、かなり年季が入っている。2001年製だから5年前の機械で、近頃のパソコンの進歩のペースからいえばそろそろ実用上の限界だろう。第一線でパソコンを使う人なら2年で買い替えが推奨されているのが現実だ。いまどき、10年使えるパソコンなんてそうざらにはない。思い起こせば5年前、「インターネットをやってみたい」という母親のために買った機械である。出版業界関連で仕事をしてきた私は、Macのよさを十分に知っていた。当時猛威をふるいはじめていたウィルスの危険性を考えれば、素人の母親にWindowsを勧めるわけにいかなかった。半年ほど、中古のPowerMacで慣れさせておいて、当時リニューアルしたばかりの白いiBook(Dual USB)を買ったのである。そのころは、CPUスピード競争が真っ盛りで、Macは明らかに遅れをとっていた。実際の処理速度はクロック数にばかり依存するのではないことは使用実感から明らかだったが、500MHzはAT互換機に比べれば見劣りのする数字だった。それでも私がそのころ使っていたOld WorldのMacは120MHzとか200MHzだったから、それから比べればずいぶん早いクロック数だった。
ただ、案外と遅いなあというのが、母親のために設定するのにいじっていたときの実感だった。実際、同梱されていたOSX10.1はまだまだ未完成のOSで、後の10.2に比べればやぼったいものだった。それに、OSXは(WinXP同様に)メモリが少ないと著しく遅くなるという欠点がある。初期設定の128Mのメモリでは、OSを動かすだけでやっとで、アプリケーションを滑らかに走らせるだけの余裕はなかったのだ。最終的に周辺機器の都合でこのiBookはOS9.1で使うことになった。母親は素人なりによく使い込んでくれたので、まあそれなりの役には立ったのだろう。
この間、私は一時的にWinを使ったり、時代遅れのMacを使ったりしていたが、やがて母親と同じシリーズのiBookを使うようになった。ただしこちらは、クロック数も1Gあり、OSも10.2.8、メモリも384Mとそれなりに数字が上であった。このiBookは十分に実用的であった。
ところがこの機械は仕事の都合で私が使っていただけで、決して私の所有ではなかった。仕事の都合でこの機械を使えなくなるちょうどそのころに、母親の方で(おもに通信環境の問題から)ハードをアップグレードする必要が生じた。さまざまな都合を勘案して、結局母親は当時最新のiBook(G4の1.25GHz)にアップグレードすることになった(この機械はさすがに早く、G3の1Gと比較しても「飛ぶように」感じた。処理速度はクロック数だけに依存するのではないということを再度確認した)。
結果、母親のところで不要になったiBook500MHzを私が譲り受け、それまで使っていたG31Gの代わりに使うことになった。だから、私からすればクロック数で一気に半分もダウングレードしてこのiBookを使うことになったわけである。さすがに遅く感じた。ただ、幸いなことにグラフィック系のアプリケーションを使う仕事が減ってくれたので、致命的に使えないというほどではなかった。それでも、日本語変換にさえときには待ち時間が生じてしまうというのは、かなりのストレスだった。母親がたっぷり3年使い込んだわけだから、ハードウェア自体もかなり古びてしまっていた。譲り受けた時点で、まずバッテリが死んでいた。これは、電源つなぎっぱなしで使っていたのがよくなかったらしい(リチウム電池は、ときどき放電させてやる必要があるらしい)。だから、まずはサードパーティー製のバッテリを購入するところからはじめなければならなかった(時代遅れのiBookに適合した純正バッテリは既に入手不能になっていたわけだ)。次に、電源アダプターが接触不良になった。どこかで断線していて、充電できないのである。断線なので、アダプターの置き方やケーブルの引っ張り方で、機嫌がなおることもある。けれど、だんだん気難しくなって、機嫌をとるのに15分もかかるようになってきた。これでは実用的とはいえない。
電源アダプターだって安くはない。買い替えるならいっそパソコンごと新品をと思うのだが、金がない。結局これは、中古電器店で似たような規格のトランスを買ってきて、はんだごてを持ち出して線をつないでごまかした。だから、このiBook、電源アダプターだけはキャノン製である。外見だってきれいではない。出張にはいつもカバンに放りこんだから、傷だらけである。パームレスとの塗装は一部がはげ落ちている。キーボードの文字も欠けたものがある。
一般にMacは中古品も高く売れるのだが、こんな傷だらけ(バッテリは純正ではなく電源アダプターは怪しげな修理品、外装傷あり)の品物では、さすがに二束三文だろう。中古で売り飛ばして、新品を買う足しにすることもできない。人に譲るにしても二の足を踏んでしまう。
いっぽう、この傷は愛着でもある。苦労して使い慣らしてきた証でもある。そんなこんなもあって、新しいMacBookに買い替えるという選択をせずUbuntuを試してみることになったのだ。さて、これからどうなることか。
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2006年07月18日

サポートコミュニティ

Ubuntuを運営している会社は、噂によるとスポンサーがついているそうだが、一応ほかのLinux関係の企業と同様に有料サポートで収益をあげているらしい。しかし、私のように金のないユーザーは有料サポートではなく、無料のフォーラムを利用することになる。これでも結構役に立つ。ユーザーフォーラムは、たとえば私のようにMacでUbuntuを使っている者はここになる。
http://www.ubuntuforums.org/forumdisplay.php?f=133ここをのぞくと、世の中にはMacにUbuntuを入れて使おうというような奇特な人がずいぶんいるのだと知ってホッとする。使おうかどうか迷っている人、試しに使っている人、使ってみてもうやめたといっている人などいろいろだが、中には前のバージョンから乗り換えてずっと使っている人もいる。フォーラムの書き込みの中には役に立たないものも多いし、書いてある言葉が英語だから読むのも簡単ではない。それでも、それなりに楽しみがあるのは、署名代りに警句を書いている人がいるからだ。例えば、「知識とはどれだけ答えることができるかであり、知性とはどれだけ疑問を発することができるかである」なんていう警句にはなるほどとうなずかせられる。しかし、こういうまじめなものよりも多いのは、Windowsに対する強烈な皮肉だろう。
「パソコンとエアコンはよく似ている。どっちも窓(ウィンドウズ)が開いていては役に立たない」
「ウィンドウズを入れないパソコンなんて、カラシを入れないコーヒーみたい」
「ウィンドウズのインストールCDを逆回転させると悪魔の歌が聞こえてくるという噂があるが、逆回転させる必要はない。普通に入れてもウィンドウズがインストールされる」Mac信者で、ほかのOSのことを無視するWindowsの態度に苛立ってきた者としては、こういった皮肉は痛快である。それもMac以外の世界でそれを聞くのは。
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2006年07月16日

ちょっとした設定で

多くのパソコンで、「ちょっと使い勝手が悪いなあ』と思っていたところが実は単純な設定で使いやすくなるということがある。Macでも、OS8.6や9.1からOSXに変えたときがそうだった。OSXのインターフェースがどうにも使いにくいなあと思っていたのが、ほとんどが設定をカスタマイズすることで解決できた。Ubuntuの場合もそうである。画面の天と地の両方にツールバーがあるのはうっとうしいなあと思っていたらそれはひとつにまとめることができたし(おまけにツールバーの格納の機能もついていて、これはオトク)、ポインタの早さも調節できた。フォントや入力システムのカスタマイズはこれまで書いた通りである。しかし、あちこちさわっても、どうにもうまく動かない設定もある。そのひとつがメーラーのURLとブラウザの関連づけであった。しかし、ようやくこれも解決した。MacでもWinでも、いまでは普通にメールで送られてきたWebSiteアドレスをクリックするとブラウザでそのページが表示される。ところがUbuntuのThunderbirdでは、URLをクリックしてもなんの動作も行われなかった。逆にブラウザでメールアドレスをクリックすると、メーラーは立ち上がる。
これが単に設定の問題だろうというのは、最初から見当をつけていた。しかし、ThunderbirdやFireFoxの設定をいくらいじっても、このあたりを変更することはできなかった。おかしいと思いながら、半ばあきらめかけていた。ところがこれは、システムの「設定」の「お気に入りのアプリ」でデフォルトのブラウザとメーラーを指定することで解決した。WinやMacの「インターネット設定」にあたるのだが、うっかりしていた。たぶんFireFoxを日本語版にアップデートした関係で、デフォルトのブラウザが指定されない状態になっていたのだ。これでまた一歩、使い慣れた環境に近づいた。だんだんと、Ubuntuを使いつづけることができそうな気がしてきた。ただ、フォントや動画、特にFlashの不具合がなんとかならないと困るのだが。
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2006年07月15日

ログアウトのショートカット

Ubuntuのスリープ(サスペンド)にはバグがあって、ときどきアプリケーションの起動ができなくなり、その結果として終了や再起動ができなくなるということは以前に書いた。終われないということは電源ボタンを押しつづけて強制的に終了するしかないということであり、これは(滅多にないことながら)システムにダメージをもたらしかねない。非常に望ましくない事態である。そんなときにうまくログアウトできる方法はないかと思っていたら、「control+Alt+delete」の組み合わせでキーを押すと、強制的にログアウトすることを発見した。アプリケーションが起動中でもお構いなしに終わるので危険な組み合わせではあるが、ともかくも、これで非常時には脱出できそうだ。
いまのところ、終了できない状態で試していないのできちんと機能するかどうかは確認できていないが、もしうまくいかない場合にはまた報告するとしよう。
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2006年07月14日

なぜにMacでUbuntu

私がMacネイティブのiBookにLinuxディストリビューションのUbuntuをインストールした理由は、繰り返し述べているようにiBookがいい加減スペック的に限界にきたからである。しかし、だからといってそれが唯一の解決策ではなかったはずだ。たとえば、同じUbuntuを使うにしても、AT互換機でUbuntuという選択もあったはずだ。実際、AT互換機の方がUbuntuは相性がよさそうだし、使えるソフトも圧倒的に多くなる。たとえばWineのようなエミュレータも使える。応用範囲はぐっと広くなる。なんの不都合もないはずなのだが、どうも私はWin機を(たとえそれが中身がLinuxであっても)使う気がしない。なんだか違和感が拭えない。OSに一時的に見切りを付けているとはいえ、やっぱり私はMacユーザーなのだ。Macユーザーであるという自覚まではあきらめたくないらしいのである。iBookの背面に浮きでるリンゴマークだけのこだわりで、ひょっとしたらずいぶん損をしているのかもしれなくても。
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2006年07月13日

右クリック問題の一応の解決

Ubuntuではどうしても細かい操作にマウスの右クリックが必要になる。けれど、iBookのタッチパッドは、Mac伝統のワンボタンである。この不具合を解決するための方法として、特定のキーを押したときにマウスの右クリックをしたのと同じ動作をするように設定する方法があちこちにかいてあった。しかし、コマンドラインを使った素人にはかなり難しい方法なので、これまで敬遠してきた。しかし、ひょんなことから、デフォルトでも右クリックがF12キーに割り付けられていることを知った。なあんだ。これで右クリック問題は一応解決する。いちばん遠いところにあるF12を使うのは面倒だが、まあ、右クリックなんて滅多に使うことはないんだからね。
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